無味無臭の”あの頃”が横に座る「学校の音を聞くと懐かしくて死にたくなる」感想

郷愁と哀愁。後悔と未練。 鬼才、せきしろが紡ぐ短編ライトノベル集。 担任の先生が教壇に立つ。いつもなら騒がしい教室が今日は静かである。 生徒たちは誰も口を開かない。 「無事、卒業式が終わりました……」 教室に響く音、廊下に伸びる影、卒業式の涙。 図書室の先輩、アルバイト中のキミ、文化祭の僕。 鬼才、せきしろが自由律俳句、108字×108編のショートショートに続き挑んだ新ジャンル“短編ライトノベル”堂々開幕。

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短編「ライトノベル」とされているが、まさに「ライト」だと思う。ただ、一般的なライトノベルの枠には絶対に入らないが。

まさにタイトル通り、登下校の足音、放課後の吹奏楽部の練習、チャイム――あらゆる「学校の音」に懐かしさと同時に、痛さのようなものを感じる人を狙い撃ちするような本だ。多感な時期を集団で過ごし、若く極端な思考による哲学を組み立て、それなりに充実した生活を送って、社会に出てみてふと振り返る。あの頃の自分は輝いていたのか、それとも、実はそれほど輝いていなかったのか……。本当は「無意味」だったのではないか。そんな風に錯覚(もしくは気づか)されるものとなっている。

淡々とした過去形、もしくは現在形で連なられていく小説群は、ネガティブなわけでも、ポジティブなわけでもない。どこまでもニュートラルという風に進んでいく。そこにある事象、雰囲気をありのままに抜き取っている。不条理もあるし、自然もあるし、ファンタジーもあるが、心に響いてくるものはない。学生特有の感性を枯れた視点で抜き出しているとでもいうのか、まさに観察するように描写していく。 その無機質さによって、読者は「あの頃」を思い出していく。楽しかった「はず」の、充実していた「はず」の学校生活を……。あれ? 自分の学校生活も、この本のように、淡々としたものだったのではないか、そう思えてくる。

心が平坦に慣らされていくような、そんな感覚に陥るのだ。

学校で生活していると、ある種の倦怠感というか、無気力に包まれてしまう時期というものがある。あらゆることに鈍感になり、退屈し、淡い絶望を味わうのだ。 そんな中で得る小さなプライド、意地。私たちは案外、それをいつまでもいつまでも引きづっている。この本は、そこを的確についてくる。無表情に、淡々と。

死にたくなる、けれども死ぬほどでもないな。そんな絶妙な箇所へと読者を漂着させる、これはきっと傑作でも鬼作でもなく、変作とでもいうべき小説だ。タイトルになにか惹かれるものがある人はパラリと一編だけでも目を通してみることをお勧めする。