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そのTRPGリプレイは誰のもの、目的に合わせて考える書き方と見せ方

そのリプレイ、議事録になってはいませんか

IRCやどどんとふで遊ぶと楽しかった軌跡が確実に残りますよね。特にどどんとふでは、色つきで出力してくれる上、html形式なのでそのままアップロードしちゃえばページとしてコンテンツになっちゃいます。大変便利。

私も見た目を変えるツールなんかを作ったりして、よく利用させてもらっています。

aoringo CHAT logger

さてはて、そういうわけで簡単にログが取れてしまう最近のTRPG事情ですが、それは本当にリプレイでしょうか? 議事録になってやいませんか。今回はそういうお話です。

そもそもTRPG暦が一年にも満たない輩がなに言ってんの? っていう感じですが、お付き合いください。

目的をはっきりさせる

遊んだログを丸々載せる事が無意味だとは言っておりません。例えば遊んだプレイヤーさんが見返して当時を振り返るには、やはり生のログが良いのです。ただ、それを「楽しかったです! 見てください!!」と第三者に見てもらうには、あまりにも大変です。

五時間の文字セッションを遊んだとして、その文字数は全体で数万文字にも及びます。もしかすると数十万文字にも。数万文字というのは感覚的にわかりづらいかもしれませんが、ライトノベル一冊で七万文字程度です。一万文字もあれば、30ページくらいの短編小説ほどの長さになります。

それを「この前こんなセッションしたんだよ」と渡されて、最後まで読む人は何名いるでしょうか、というお話です。一緒に遊んだプレイヤーなら、「面白かったところ」や「特に印象に残ったところ」にさっと移動して「ああ、こんな感じだったよね」と楽しめますが、そのセッションの盛り上がりどころがわからない場合は大変です。この大変さを「負荷」といったりします。

負荷の低いものにするにはどうすればいいでしょうか。方法はいくつかあります。

分割する、短くする、粗筋をつける、見た目を工夫する、効果を活用する。ざっとこれくらい。ひとつずつ見ていきますよ。

ちなみに、web上に公開するリプレイとしてのお話なので、本にしたりするにはまた違ったノウハウなどが必要になるかと思います。でも、大体一緒かなとは考えています。

分割する

本一冊にも及ぶ長々とした文章が、ひとつのページに収まった状況を見た事ありますでしょうか。スクロールバーが恐ろしく小さくなって、それだけで「うっ」となります。場合によっては一文字も見る事なくページを閉じてしまう人もいるでしょう。

最初の一行を見てもらう事がいかに大変か、お分かりになるかと思います。

まずはスクロールバーを大きくしましょう。分割するのです。「part1」とか「第1話」とかつけるのです。それで大体そのページがどれくらいの長さなのか、どれくらいで読み終わるのかがわかります。そこで面白いと思ってもらえれば、次へと移ってくれるはずです。

個人的な考えとして、ひとつのページあたり最大でも一万文字程度が限界だと考えてます。できるなら三千文字程度で抑えられるといいかな、と。

短くする

とにかく削る。ダイスボットの出目や、間延びした会話、相談の内容、はては行動などもガリゴリ削ります。判定は成功したかどうかを書き、戦闘などでお互いが何度もミスをしたらそこをカット。ダンジョンで探索していたら「それからかなりの時間がたち」の一言で時間をかっ飛ばしてもいいですよ?

何度も全体像を見渡して、少しずつ少しずつ影響の低そうなところをとにかく削っていきます。

場合によってはオープニングを一行で済ませて既にダンジョンの前に居る、でも問題ないかもしれませんね。

そのリプレイがロールプレイのやり取りを見せたいのであればそこを濃く、戦闘を見せたいのであればそこを濃くします。そうすると明暗がハッキリと出て読み応えのあるものになります。

粗筋をつける

リプレイの最初に、こんなセッションでしたというのは有効です。内容がわかっても、それが特徴的だったらもっと詳しく見てみたいという人を惹きつける要素になります。

粗筋をどこまでつけるのかは自由ですが、半分以上、最悪エンディングまで書いてしまっても特に問題はありません。10行くらいに圧縮できて、それが面白ければむしろ読みたいと思わせる重要な要素になります。

見た目を工夫する

リプレイ自体の見た目を工夫しましょう。文字がぎゅうぎゅう詰めに詰まっているのは目の毒だし、なにより他の人と一緒の見た目だと読まないままスルーされる可能性すらあります。

好みはあるでしょうが、私の場合は間を大きくあけて文字を少し大きめに、合間に破線を入れております。

これだけでもとても特徴的になります。webページの知識は必要になりますが、勉強しても損はありませんよ。

効果を活用する

これは簡単です。文字の大きさや色を変えるのです。効果的に仕えればとても印象に残りますが、センスが問われますねw 私はやってません。

熱量を大切に

遊んだ後は独特の”熱”があるはずです。それが冷めないうちに是非ともリプレイを作ってもらいたいなと思います。どこが面白くてどこが間延びしたのか、文字では把握しづらい独特な感覚が残っているうちに手をつけたほうが確実に出来はよくなると私は考えていますよ。

そうやって残した物は後になって見返しても確実に楽しいもののはずですし、価値のあるものになるでしょう。そのリプレイが第三者にとって面白いものなのかどうかは最後までわかりません。なにが正解なのかわからないからこそ、こういうものはやりがいがありますよね。

表現、表記、語句の統一を心がける

それぞれのプレイヤーによってその文章の書き方はまちまちでしょう。そういう時によくあるのが表現の違いです。表記の違いでもいいでしょう。笑うときに「(笑)」と「w」で違うときもあるし、「言った」と「いった」とか、「何」と「なに」とか。本当に色々です。リプレイにするとき、これらのゆらぎをどうするか迷うと思いますが、統一するべきです。

これらがゆらいでいると読者が混乱します。誤字脱字、判定方法の間違いなどもその都度、修正や注釈をしていきましょう。読んでくれる人の負荷をできるだけ少なくするように考えるといいかと思います。

同時に、句読点などにも注意を払うようにもします。文字チャットだと句読点をつけないで喋る人や、喋ってしまうことがありますが、著しく読みづらくなる要素なので特に気を配ります。

最後に

楽しいリプレイを書くため、どうすればいいのかという記事は驚くほど少なく、迷うものです。ブログの一コンテンツとしてリプレイをいくつか書き、まとめるには良い時期だと思ったので形にしてみました。

ちなみにこの記事はこの時点で大体2700文字です。ショートショートひとつ分といったところですが。人がさらりと読める文字数は大体これくらい、というのが私の感覚です。そう考えると一万文字というのは結構気合を入れて読む必要があるということ。長くても一万文字にはやっぱり収めたいというのが私の今のところの答えです。

物語における「リアリティ」はどこまで追求するべきか

はじめに

まあ簡単な思考実験なようなもので、特にライトノベルはRPGゲームなんかによくある特殊能力についての思考実験であります。

たまに物語を評価するときに「リアル」ではないからという理由で否定する人がいます。おそらくその人にとっては、リアルであるかないかが「おもしろい」か「おもしろくない」の基準になるのでしょう。

御坂美琴はどのような能力を所有しているのか

たまたま目に付いたこの娘で考えてみようと思う。

御坂美琴は「とある科学の超電磁砲」の主人公で、発電系の能力の持ち主。

有する能力はレベル5の発電系能力「超電磁砲(レールガン)」。

発電能力における最高の能力であり、他の同系統能力者とは別格の強さを誇る。後述のように多彩な攻撃技や様々な応用も利くオールラウンドな能力である。

基本となる攻撃は速度と連射性に優れた直接電気を放出する電撃。作中ではよく高圧電流の槍を投げつける「雷撃の槍」を使用しており、最大電圧は10億ボルト。落雷を落とすことも可能。

御坂美琴 – Wikipedia

能力の詳細はこんな感じ。

どういう原理か

良く見る「超電磁砲(レールガン)」は指でコインを弾いて電磁加速を加えて敵を攻撃するものだが、電磁加速というからには、おそらく原理的には「コイルガン」のようなものだと思われる。イメージ的にはトンネルのように電界を作って、その中をコインを潜らせるのだ。空気中の酸素濃度が湿度を自在に操る必要がある。

コイルガン – Wikipedia

現実にある「レールガン」は、電位差のある電気を流したレールの間に弾丸となる物体を置き、そこに電流が流れることによって発生する磁場によって発射される兵器だ。御坂美琴の小さな手では、レールとしては距離が短すぎる。

レールガン – Wikipedia

仮に彼女の技が「レールガン」の原理によって発動していた場合のことを考えてみようと思う。

急激に加速するコインの衝撃に耐えられる耐爆能力。摩擦による熱を防ぐ耐熱能力。一極集中しても皮膚が破裂しないために絶縁性能、耐電能力。電流をスムーズに移動させる導電能力。周囲に放電しないための空気濃度、もしくは湿度変化能力。

身体的にも、彼女の筋肉、骨はスーパーマンなみに強力な可能性がありそうだ。

他にも周囲にある鉄を自由に浮遊させたり、砂鉄を操ったり。はては空気中の水分を利用して加速浮遊移動を行えたりするらしい。マグニートー真っ青ってレベルじゃない。

と、計算はしなくても彼女の能力がどれだけ半端無いのかを推し量ることはできる。しかし、物語の「楽しさ」に、こういった視点は必要だろうか? 一度立ち止まって考える必要があると思う。

同様の問題はゲームなどにもある

あるFPSゲーム(一人称視点で銃を持ってお互いに打ち合う対戦ゲーム)には銃弾が部位に当たる事によって「負傷する」という要素があった。肩に当たれば命中精度が下がり、足に当たれば走れなくなる。顔に当たると血で視界が悪くなってしまう。血が流れれば早く止血しないと死ぬ。などだ。

そのゲームが果たして流行ったかというと、最初はニッチな人気は得たが、最終的にはバランス調整に失敗。過疎の一途であった。リアルを求めるとゲームとしての「楽しさ」とのバランスをとるのがとても難しくなる。

時には現実的な思考は邪魔になるという良い例だと私は思う。

まとめ

創作をしていると、どうしても能力を現実的な面から考えてみたくなる事がある。そういうときに「これだけリアルにしたんだ。おもしろいに違いない」と考えるのは思考のループに陥りがちだ。敵の能力は? 味方の能力は? 倒し方は? 矛盾していないか・・・?

最終的に、人に見せる前にストーリーライン上に矛盾が生じて、筆を進める事が出来なくなる。自分の物語に自分が殺されてしまう。そして、そうやって完成した物語は果たしておもしろいのかどうか・・・?

もちろん、それ相応の膨大な知識量に支えられた緻密な物語は確かにある。かなりの労力が必要なのは明白だけれども。

いつだって問題はトレードオフだ。あちらを立てればこちらが立たない。説明に終始すれば物語は進まない。物語に終始すれば説明がおろそかになる。意識的にバランスを計る必要がある。

人を選びすぎるが異質な何かを感じる「耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳」感想

僕レイチ。今年から“八高”に入学する本地民(コネだけど)。植物でも愛でつつ妄想の中で暮らしていきたかったのに、クラスメイトは王国民流モラルハザードなヤツばっか!とくに何、この幼女?耳刈?ネルリ?せっかくの高校生活、痛いのはイヤー!(耳だけに)しかも何で僕が自治委員に任命されなきゃなんないワケ?王国民との対立とかもうお腹いっぱい、僕は今日も勉強会で忙しいんだってば―!第10回えんため大賞優秀賞受賞作、ついに登場。

大筋としては、全体主義に染まった国の学園にコネで入学した主人公と、周辺の辺境国からやってきた王族とのやりとりを描くコメディだ。しかしその描写は徹底している。当たり障りの無い「点数稼ぎ」にいそしむ主人公はしかし、その内に抑えきれない欲求が渦巻いている。

とにかく文章が変な方向にねじ切れ折れている。現実に耐えきれなくなった主人公のハイテンションで下品なエロネタの奔流に流されれば本筋を見失うこと間違いなしだ。

王族たちもそれぞれぶっ飛んでいて、特にヒロインでもある耳刈ネルリ一派は突出している。彼女の行動はおかしいようでいて彼女なりの筋を通しているのが窺える。そして全体主義とは違うことに主人公の葛藤がさらに拍車をかけていく。

中盤からの内面描写はもう栓が壊れた蛇口のように止まらない。

しかし、これだけの文字列を流し込んでも一種のテンポのような物を感じられる筆者の語彙力とセンスは素晴らしい。しれっと混ぜられる2chネタやらオタネタ。しかもそれがギャグではなくしごく真面目にねじ込まれるので恐れ入る。巻末のちょっとした解説にも確かな教養が窺える。ともあれ、出し惜しみないその姿勢、天晴れとしかいいようがない。こうしてみると、根底にはしっかりとした世界感と膨大なデータがあるのが窺える。

ひと味違うライトノベル、というよりも、まさに人を選ぶライトノベルと評するのが相応しいと思う。

キャラクターの特徴を決定づける「役割語」についての雑感

創作、特に小説を何作も作っていると、キャラクターについて思い悩む時がある。

「~なのよ」「~ですわ」「にゃんと困ったにゃ」・・・。

ほとんどの人がこの「役割語」について、ふと、違和感というか、不自然さを覚えるのではないだろうか。

役割語の効果を改めて知る

そもそも役割語とは何か。

様々な物語作品やメディア作品(外国語作品の翻訳も含む)、特に子供向け作品やB級作品において、老人は「そうなんじゃ、わしは知っとるんじゃ」、貴婦人は「そうですわ、わたくしは存じておりますわ」のような言葉遣いを用いる。そのような言葉遣いの老人や貴婦人は現実にはほとんどいないが、日本語話者であれば言葉遣いを見聞きするだけで「老人」「貴婦人」のイメージを自然に思い浮かべることができる。これらは物語作品やメディア作品で繰り返し使われることで、特定のイメージが社会で広く共有されるに至った言葉遣いである。物語の中で、老人としての役割を担う登場人物は老人の役割語を、貴婦人としての役割を担う登場人物は貴婦人の役割語を話すのである。

via: 役割語 – Wikipedia

つまり役割語とは、「読者がそのキャラクターをイメージするための手がかり」の、文字通り役割を果たす。

例えば違和感に負けて、キャラクターを、自然に、現実にいるような言葉使いで喋らせてみようと思う。

「それじゃあ、お前がやってみるといい」
「え? なんでそうなるの? 私はそもそも乗り気じゃなかったし。ミキやりなよ」
「私? 意味わかんないし。お前が勝手に話を進めてたんじゃん」
「らちがあかないな」

良くある口論の典型的な会話だが、ここに居るのは「何人」で、どの「性別」だろうか。ぱっと見ではわからない。ここで、役割語を設定してみる。

「それじゃあ、お前がやってみるといいぜ」
「え? なんでそうなるのよ。 私はそもそも乗り気じゃなかったしー。ミキがやりなさいよ」
「あたし? 意味わっかんない。あんたらが勝手に話を進めてたんじゃん。今更話ふらないでよね」
「らちがあかないニャ~」

ぐっと分かりやすくなった。ここには四人のキャラクターが居ることが明白だ。女性が二人、男性が一人、猫(もしくはそれに準じた何か、もしやもするとそんな口調の変人)が一匹。さらに女性の一人は名前も分かっている。

誰が喋ったのか。地文で説明せずとも、読者はするりと理解し読む事が出来る。これは大きなメリットであり、そして技術だ。

会話の途中で挟まれる「~がそう言った」「と~が笑った」といった地文は多くなるとテンポを乱し、障害になり得る。役割語はその地文を大幅に省略する力を持っている。

役割語はキャラクターを表す

どのような役割語を持っているかによって、そのキャラクターの「性質」を表す事が出来る。

「~ですわ」というキャラクターはお嬢さまで、ほとんどの場合は高飛車・ツンデレ。「~じゃ」はおじいちゃん、博士。「あんまり少し」が口癖なら理屈っぽくて煙に巻くような性格かもしれない。「良く分かんないが分かったぜ!」バカ、単純、熱血。「~にゃ」猫、自分勝手。

その上でどういうキャラクター回しをするのかは人によるだろうが、商業作品、特に「ライトノベル」で活躍している人たちはこの役割語が設定されたキャラクターを操るのが抜群に上手だ。「単純にそのキャラクターにその役割語が設定されているから、こういう性格でこういう行動をする」というだけでは終わらず、そこからさらに個性を継ぎ足して深みをつけている。

例えば「ノーゲーム・ノーライフ」は、ゲームが全ての優劣を決める異世界での冒険劇が繰り広げられる。その冒頭、有り金を全て巻き上げられた貴族の娘が、主人公に食ってかかるシーンがある。

主人公である「空」は、負け込んでいる「~ですわ」口調の少女「ステファニー」をわざと怒らせようと口を開く。

「あの程度のイカサマも見破れず、挙句八つ当たり……しかも子供に図星を突かれていちいち怒りを顔に出すーまったく短絡的。コレが旧国王の血筋なら負け込むのも当然だ」
 ――と。
 知能の低い動物を哀れ見るような目で、そう言う空に。
 ステファニーの目が見開き、続いて怒りに表情を震わせて睨む。
「………………撤回……しなさい」
「撤回? はは、なんで?」
「私はともかくー御爺様まで愚弄するのは許しませんわっ!」

―― ノ-ゲーム・ノーライフ1 ゲーマー兄妹がファンタジー世界を征服するそうです p75

典型的な高飛車、貴族、ですわ口調なキャラクターであるとここで色濃く提示される。そして恐らく「ツンデレ」であるとも。

さて、この小説が面白いのは、ゲームで勝った方が負けた方に好きな要求ができるという設定にある。これによって人はもちろん、国さえも賭の対象にされてゲームが行われている異世界だ。

主人公はそんな異世界に落とされて右も左も分からない。しかしゲームの天才である主人公は、この少女を最初の対戦相手として勝負するため挑発している。

「――賭けるのは、何ですの?」
 話が早くて助かる――とでも言いたげに、にやぁと、空が笑って答える。
「おまえが勝ったら、おまえの要求を全て呑もう。おまえが負けた理由、イカサマの真相を教えてもいいし、愚王のジジイを侮辱した罪で、死ねというならそれも仕方ない」
「…………このッ」
「――で! 俺が勝ったら。逆におまえが、俺の要求を全て呑むわけだ」
 楽しそうな、だが氷より冷たい表情に、不気味に笑みを張り付かせて。
 下品にも、醜悪にも、そして――冷酷にも思える口調で、こう続ける。
「こっちは命を賭けるんだ――そっちも、貞操とか色々、賭けてもいいだろ?」
 頭に上った血が、寒気に引いていくのを感じるステファニー。

―― ノ-ゲーム・ノーライフ1 ゲーマー兄妹がファンタジー世界を征服するそうです p77

一瞬、少女は冷静になる。しかし、血筋のプライドもある少女はこの勝負を飲み、そして負ける。そこでの主人公の敗者に対する要求も大変面白いので、続きは是非とも本を手にとって貰いたい。

さて、役割語の手伝いによって、少女の反応が実に「わかりやすい」のがわかるはずだ。そのキャラクターがどういった反応を返すのか、どういう条件をのむのか、どのような言葉に感情を隆起させるのか。主人公の心理的な描写はほとんどないが、何を狙い、どこに話を持っていこうとしているのかはなんとなく伝わってくる。

役割語はその時の空気感すら演出してみせる力を持っている。それが理解して、上手く扱えるようになれば深みがあり、面白みのあるキャラクターが生まれるはずだ。

役割語からのギャップ

これも重要な事でもあるが、役割語自体をフックとして、ギャップを生み出す事は可能なのだ。

老人言葉を喋る幼女、猫のような言葉使いで喋るマッチョマンなどなど。役割語からあえて外れたキャラクターは意外と多い。そのインパクトたるや。

多重人格や、体の中に別人格がいて、その変化で口調が変わったりするのは文章としては大変分かりやすい物だ。容姿が変わったとしても、言葉に表れなかったら表現の難易度は上がる。

さいごに

このように、役割語はそのキャラクターを集約するのと共に、深めるためのギミックとして扱う事も出来る大事な要素だ。

キャラクターを作るときは、是非とも「口調」や「口癖」を設定してみてほしい。そのキャラクターがとたんに生き生きとしてくるはずだと、私は思う。

2012年に読んだ衝撃的だった本たち

今年も色々と本を読みました。全て合わせて300冊程度。みなさんはどのような本を読みましたか? 私の場合、今年は色々と挑戦の年であったように感じます。小説に本腰を入れ、htmlやphp、wordpressなんかにも首を突っ込み、今はC#を楽しく弄ってますよ。

今年は何に力を入れましょうか・・・イラストとか楽しいかも知れません。

ともあれ、振り返りつつのんびりまとめていこうかと思います。

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無味無臭の”あの頃”が横に座る「学校の音を聞くと懐かしくて死にたくなる」感想

郷愁と哀愁。後悔と未練。 鬼才、せきしろが紡ぐ短編ライトノベル集。 担任の先生が教壇に立つ。いつもなら騒がしい教室が今日は静かである。 生徒たちは誰も口を開かない。 「無事、卒業式が終わりました……」 教室に響く音、廊下に伸びる影、卒業式の涙。 図書室の先輩、アルバイト中のキミ、文化祭の僕。 鬼才、せきしろが自由律俳句、108字×108編のショートショートに続き挑んだ新ジャンル“短編ライトノベル”堂々開幕。

via: Amazon.co.jp: 学校の音を聞くと懐かしくて死にたくなる: せきしろ: 本

短編「ライトノベル」とされているが、まさに「ライト」だと思う。ただ、一般的なライトノベルの枠には絶対に入らないが。

まさにタイトル通り、登下校の足音、放課後の吹奏楽部の練習、チャイム――あらゆる「学校の音」に懐かしさと同時に、痛さのようなものを感じる人を狙い撃ちするような本だ。多感な時期を集団で過ごし、若く極端な思考による哲学を組み立て、それなりに充実した生活を送って、社会に出てみてふと振り返る。あの頃の自分は輝いていたのか、それとも、実はそれほど輝いていなかったのか……。本当は「無意味」だったのではないか。そんな風に錯覚(もしくは気づか)されるものとなっている。

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