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そうだよね、皆こんな感じで逃げてるって思う「ソラミちゃんの唄」感想

自宅録音に夢中な女の子・ソラミ。絶賛浪人中なのに、今日もギターに作曲に…と大忙し。外に出るのが怖くたって、お母さんと気まずくたって、音楽があれば大丈夫。

そんな彼女の部屋には、ちょっと変てこな仲間たちが集まります。マンガ描き女子高生・フミリン、歩く寝袋がトレードマークのネモちゃん、そしてソラミの過去を知る幼なじみ・さっこ(現役合格・大学生! )。

自ら紡ぎ出した音楽が響き、気の合う仲間たちが集うソラミの部屋は、儚げな幸せに満ちていて――。

元々、この漫画の著者はニコニコ動画で多数の初音ミク曲を出していたので知っている人も多いだろう。

若干P -ニコニコ動画:GINZA

柔らかな絵柄とは裏腹に胸にグサグサ来るような曲を作る人で、私は大好きで良く聞いている。

この漫画も曲と同じくノッツ節炸裂、という感じでとても嬉しくなった。

将来への不安とか、停滞する事の居心地の良さとか、それでいて現状を正しく認識してどうにかしなくちゃいけない。というような年頃の若い人独特なダウナーな感じが始終漂っている。

気楽に騒いでいるようで、横には気だるい現実が常にあるあの感じ。

主人公は所謂ヒキコモリではあるが、元々の明るい性格から現状から抜け出そうと努力している浪人生だ。勉強には身が入らず音楽に逃げてしまい、これではいけないともがいている。

そんな主人公を気づかい遊びに来る三人の仲間達。この仲間達もまた、色々なコンプレックスを抱えていて、互いに離れられない。

そのお互いに助け合ってるようで、足を引っ張り合っているような関係がとても良い。

あくまでヒキコモリをメインにせず、心理的なお互いの距離感をメインに据えているので気楽に読むことが出来て「ああ、俺もこうだったよ」と思う事が出来る良い漫画だ。

特に主人公と母親のやりとりはとても印象に残る。

主人公は現実から逃げるためにヒキコモリになり、母親もまた逃げる為に自らを多忙にして逃げる。それでも向かい合おうとする二人。こういう関係って良いよなあ。

【ネタバレ】落ち着いて見返すと味わい深い「劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」二回目視聴感想

二回目です。見てきました。

やっぱりいいです。最高ですね。

相変わらずネタバレ全開です。全開から色々と心境が変化しました。落ち着いて見られる分気づいた所も多かったという所でしょうか。次の感想はBDがでたころにでも書くかなと思います。

【ネタバレ】色んな意味でファンに答えた「劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」感想 | aoringo works

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OP、やっぱり良いですね。あの明るい音楽にほむらの絶望した感じ。最初、あれはTV版やこれまでの劇場版を圧縮した内容なのかなって思ったんだけれど、ちょっと違うかもしれないですね。ほむら自身の心境が現れている気がしますよ。

前半の流れは概ね前回と同じ感想でした。

まどかと抱き合い髪を結うシーン。あれは、そのままほむらの心境を比喩しているのでしょう。結われていくときは、まどかに甘えていた時の自分へ戻ろうとする流れ。けど、まどかの自然な吐露を聞いて、ほむらは改めて決意します。結果、髪は解ける。まどかのためにもう一度抗う決意をする。あの悲壮感。全てを受け入れる覚悟、そしてまどかさえも取り込むという決断。ほむらはついに、流されて祈った願いを自分の物にした。そんな感じですよ。

まどかを概念としてしまった、弱かった自分の否定。疲弊して、結局まどかを魔法少女にしてしまった、自分の。台詞だけでの吐露でしたが、それだけに静かに、重く、印象的なシーンとなりましたね。

この「まどかのために」というのがミソで。初見で見たときはあくまでほむらの自己中心的な考えでまどかと一緒になろうとしていたのだと思っていた。けど違う。ほむらはそんな子じゃないんだね。

あくまでまどかのために、まどかが普通に暮らせる世界を作るためにまどかの一部を奪ったんだ。だからほむらは、新しい世界を作った後もまどかときちんと向き合っている。神に戻ろうとするまどかを戻す。もしも今後神に戻るなら、敵となってでも、止める。

まどかの幸せのためにほむらは悪魔になった。きっとこれから、ほむらはまた、まどかのために抗う事となるのでしょう。ループの日々が始まるのです。さやかは魔法少女であることが示唆されていますが、まどかが魔法少女であるとは示唆されていなかったように思います。きっと、本当に一からやり直そうというのでしょう。ほむらはさやかに対して、そしてまどかに対しても敵対するような事を嘯いていますが、それこそが彼女の覚悟なのでしょう。目元の隈? も、おそらくは眠れぬ夜を過ごしているに違いない。優しい子ですね。

純粋な愛の物語に昇華したとも言えるかも知れない。あのほむらの「愛」という台詞は、まさに純粋な愛に違いない。独占的な愛ではなく、まどかの幸せを願った愛。そのためにはあの世界は必要で、さやかや他のメンツが巻き込まれるのもまた、必然だったと言えるでしょう。そしてまた、そのためにも自分は側にいないといけないと考えている。

TV版のエンディングではまどかが一人走っていたのが、今回のエンディングでは二人一緒に走っていく。この世界の未来では、そうなって欲しい。本当にそう思います。もう、ほむらは十分頑張ったと思う。

エンディング後のおまけ。きゅうべえを痛めつけているけれど、これは多分TV版最後との対比なのでしょう。ビルから落ちるところも同じ。ここからまた彼女の戦いが始まるという示唆。そしてきゅうべえは利用するためだけに存在するという示唆でもあり、不吉の象徴でもある。

笑っているのは、どういう事なんでしょうか。今度こそ勝ってやるという物語に対する勝利宣言でしょうか。今度こそ、私が主導権である、という。

今後考察も盛り上がるでしょうが、私はとてもシンプルなお話だと思います。ほむらの、まどかに対する思いの戦い。一度は挫けてしまったけれど、立ち上がるための物語だったのだと。

【ネタバレ】色んな意味でファンに答えた「劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」感想

見てきました、まどマギ。そこまで熱心な視聴者ではなく、のほほんとTV版を見ていた方なのですが、大変興奮しました。面白かったです。

とにかく良い映画です。ある意味ではファンへの一つの答えとして提示される映画でした。

以下一切の遠慮はせずネタバレの嵐となりますので、実視聴の方はブラウザバックをお願いします。

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初っ端からワクワクするような始まりですね。各キャラクターの立ち位置が微妙に違うようのがわかり、さらに「ベベ」の存在に驚かされました。しかもそれがマミさんと一緒に暮らしてるとか。

OPも凄く良い。さわやかな歌に合わせてホムラが絶望しているところとか、凄くこれからの展開を示唆していて一筋縄じゃいかない感じを思う。けどなんかこう「これこれ、これだよな『まどマギ』って」みたいな感覚になるのは、多分ファンがこれまで色々と想像した「まどマギ」像からブレてないから。

全体的に、私たちが妄想したりしている展開を全て詰め込んだような風。「これだろ? これがみてえんだろ? 全て詰め込んでやる!」・・・。ここらへんはエヴァ劇場版の上から見下ろして笑うような感じではなく、一緒に堕ちましょう(楽しみましょう)と誘ってくるような、そういう感じ。そうやって考えると、真の意味はわからないけれどあのケーキの歌の下りとか、食べさせられてるのは私たちまどマギファンなのかなとか思ったり。メタ読みしすぎるとキリがないけれど、あの閉鎖された空間で、全員からそれぞれのトッピングされたケーキを頬張るあの姿。重なるよね。

ガンカタ勝負むっちゃくちゃかっこよかったです。あのシーンをもう一度見るためだけにもう一度見に行きたいですね。結局殺せず足を打ち抜こうとする所とか、ほむらの迷いが見れるシーンを入れたのがグットです。

多分さやかが諭す前、あそこくらいから心の底ではわかってて、必死に否定していたんだと思う。だから迷った。ベベを即倒さなかったのも、まどかの前でいきなり変身して見せたのも、全部邪魔を誘うための小さな隙だと思った。さやかやベベ、そしてまどかを誘ったのも実際にはほむら自身だし。

思い返すと、ここで何故ほむらが異変を察し、事実を追い求め始めたのかがわかる。全てはまどかと一つになるため。そうしないとまどかの存在をなんで疑わないのかが説明つかないからだ。他の杏子やベベは疑っているのに、何故まどかは疑わないんだ? ベベの記憶があるなら、まどかのために戦ってきた記憶もあるだろう。そこにまどかがいる事。もしもほむらが本当に事実を追い求めているならまずまどかを疑ったはず。少なくとも心の深いところでは理解していたと私は解釈した。

そしてまどかの考えを聞き、ほむらの心情が風景として表れる。あのシーン良いですね。実際ほむらの中でどういう感情が芽生えたのか。けど、少なくともほむらはまどかをどうにかしようとは思ったんだ。

さやかの魔女化はキター!って感じですね。良いですね。ワクワクしますよ。そして色々と繋がってきます。

まど神シーンは、ほとんどの視聴者にとっては、これだ!! これだよ!! と思ったに違いないですが、「けどできないよなー」とも思ったシーンであると思います。今回の映画は本当にファンが見たかった物が詰まっていますね。物語としてはある意味では反則ともいえるセオリー外し、「ここでこうなったらおもしれえよなあ」をやってくる。本当に感動しましたよ。しかもこれが綺麗にまとまっている。

最後の長いエピローグもよかった。良い余韻です。ほむらのすさんだ目つきも良い。悪魔になっても、けれどもなりきれない感じ。素敵ですね。結局はさやかやマミさん、杏子たちと一緒に居る。ほむらの本質は結局変わらないっていう弱さが見れます。まどかのために、そういう存在になれて幸せ・・・。と言い聞かせているような痛さ。ゾクゾクします。これでいいんだ。というような笑い。

私は常々、TV版は物語のためにキャラがあると思っていました。この物語をするためには、キャラクターはこういう感情をいだかないといけない、というような。だからこそほむらは純粋な感情を突き進めてまどかを救おうと足掻いたし、さやかは魔女になった。物語上ここではこうしないといけない。そういう縛られたキャラクター達だった。

だからこそ、ほむらのまっすぐな感情は私たちに歪んで見えた。沢山の二次創作で、ほむらが変態として描かれた。そしておそらく製作陣にもそう見えた。か、それならこれを推し進めようと思ったんじゃないかな。

結果的に、物語から抜け出してキャラクター達は自分を得た。今回の映画はそういう風になっている印象を受けました。物語を終えて、放り出されて感情を強制されたキャラクター達はいったいどうなってしまうのか。その果て。ほむらが作った空間で、仁美がああなった所は過去の彼女達を見ているようだった。物語のために操られている感じだ。そんなことでなるのか? というのは言い換えると、そこでそうならないといけないと強制されているのだから。

この後、彼女達はどうなるんだろうね。気になるけれど、描かれるのだろうか。アニメ化するかな? してほしいな。

ところで、またまどマギはコミカライズをまたやるのかしらね。沢山だされても追いかけられないし、逆にそれがファン達を分散させている結果になっているようにも感じる。そして、たとえコミカライズで枝葉を分けてもどうしても同人的というか、二次創作的というか・・・・。まあ仕方ないんだけどね。もやもやっと。

ともあれ映画はとても楽しかったですよ。また見に行こうっと。

【ネタバレ】落ち着いて見返すと味わい深い「劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」二回目視聴感想 | aoringo works

二度目視聴の感想も書きました。

ショックだけを与えられて無責任に放り投げられる「人間仮免中」感想

壮絶な過去と統合失調症を抱えた著者が、36歳にして出会った25歳年上のボビー。苛烈で型破りで、そして誰より強靱なふたりの愛を描いた感動のコミックエッセイ。

読んだあと、しばらく脳の中で整理がつかずにボケっとそのまま二時間ほど経っていた。

感動したとか、感激したとか、笑ったとか、勇気をもらったとか。とにかくそういう風に言い表せられないくらいに、なにやらごちゃ混ぜになった気分にさせられる。とにかく、「ショック」を受けたというのが適当に思える。

本著は、卯月 妙子が歩道橋から身を投げ出す場面から始まる。そこから一気に過去へと飛び、彼女の人生、その一端を見る事が出来る。いや、押し付けられる。

一方的な「卯月 妙子」自身の世界、価値観、主張を淡々と流し込まれるのだから、たまらない。冷静に考えれば、自己中心的な考えは決してうなずけるものではない。しかしインパクトを伴う彼女の人生が、読んでいる私たちの価値観すらも捻じ曲げよう、捻じ曲げようと訴えかけてくるのだ。たまらない。

彼女は自分自身に起こる全てを受け入れているようで、それを素直に表現してくる。全てを。主観だけで描かれているから、素直に受け入れられると美しい話に見えなくもない。しかし、その裏側を思うと、彼女の周りに居る人々を思わずには居られない。スッキリとしながらも崩れた線に、著者の精神状態が見えるようで恐ろしい。

一コマ一コマに渦巻く執念のような何かを感じるようで、中々前に進まない漫画は初めてだった。

ある意味で、生きるってこういうことなのかもしれないな、と納得できる。かもしれない。

女の子の気持ちが今日少しだけ分かった気がした

正確には「今までズボンを履いていた女の子が初めてスカートを履いたときの気持ち」なんですけれどね。

まあズボンがやぶけたんですわ

股の所がズババっと割けたわけです! あ、写真とかは別にアップしませんよ? 誰も野郎の破れた股画像なんて見たくないですよね。

そんなに大胆なわけではないですけれど、ちょっと油断するとトランクスィーが見えます。もろっと。

まあどうしようかなって思ったんですが、ふと「女の子って常にこの状態で過ごしてるのかな?」って思ったわけです。

凄いですよね。羞恥心にさいなまれます。あまつさえ、自身の意思でそのような状態になるわけですから尚更です。

スカートにも色々種類があるのは私も知ってますが、見えそうで見えない! そんなスカートを履いている女性も大勢いるわけですよ。

気になり出すと止まらない

まあそんな訳で、気になったなら仕方がない。試しにこのまま過ごしてみようと考えた訳です。女性がどういう風にしてデリケートゾーンを守っているのか。身をもって知るチャンスです。別に変な趣味とかは無いですよ。本当に。

はてさて、破れたのは大体チャックの部分の下あたりから太ももにかけて。

みえそでみえない♪

というか普通に過ごしている分には大丈夫そう。かがむと見えそう。脚を閉じてると大丈夫。そんな感じですか。

視線が気になる

とにかく視線が気になりますね。見られているのじゃないかという疑心暗鬼に陥ります。

歩幅が短くなり、真っ直ぐ歩くのが苦痛。前を見るのが辛い。

股間が気になる。

自分のその箇所が今どういった状況にあるのかが大変きになって仕方ない。

しかし脚を動かしている分には自分でも確認できない。視点から上手く隠れている。ああ、気になる、気になる。笑い声が自分に向けられているのではないかと気になってしまうのです。あとちゃんとしたトランクス履いてきたっけとかそんな心配までし始める。おかしい。今の私の嗜好経路は確実におかしな方向に転がり始めている。

これはあれですね。小説の心理描写に使えそうです。

じてんしゃああああ

自転車やばいです。凄いです自転車。スースーする! すっごいスースーするよおおお!!

風が入り込んできてふとももを撫でていきます。

いやあ、凄いですね自転車。

自転車すっごい。すっごいのもう。

女の子座り的な姿勢の大切さを知りました。きちんとガードできて自転車も漕ぐことが出来ます。

あの脚は「女性」が自然にするわけではなくて、服装がそうさせるのですね。びっくりです。

だから常にガニマタな女性は、別にそういった姿勢を心がけているわけではないだけ。骨格的には差異は無いのです。考えれば当たり前ですが、体験するとわかります。なるほど。

まとめ

そういうわけで女性の気持ちが少しだけわかったような気がする一日でした。

そう、これが「今までズボンを履いていた女の子が初めてスカートを履いたときの気持ち」なわけですよ。今までズボンを履いていたんだけれど、今日からスカート。スースーするし周囲の目が気になるし端から見ておかしいのかわからないしあーもーあーもー! と赤面して下をうつむく女の子の気持ちです! ピュアピュアで萌え萌えの定番エピソードですが自分で体験するとは思わなかった。

やー、これは創作のヒントになりますよ。気になる人は是非とも体験してみては。この感覚はやってみないとわからないんだぜ。

ちなみにこのプラナス・ガールという作品は主人公が女装したヒロイン(?)とイチャラブする漫画です。むっちゃええので読んでみるといいと思うヨ!

明日から仕事着どうしよ。

あと、念のために言っておきますが、私は別に露出狂趣味の変態ではありませんし女装趣味もありません。あくまで創作のためのヒントとして思考したフィクションを記事にまとめただけのものです。念のため、念のため。

準にゃんと結婚したい。

プロの描く背景がフリーで利用できる「Manga-Website 漫画街 マンガ工房」

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かなり緻密に描写されている風景は「自作の漫画作成」に限られていますがフリーで利用する事ができます。汎用性も高く、この背景素材だけで漫画一本補えそうです。

創作につきまとう「面白ければ良い」という呪詛

何をもって「面白い」とするのか

私が創作(小説、絵、プログラム、シナリオ)をする理由は「楽しい」というものの他に、「伝えたい」というものがある。自分の感じた面白いという感情を、出来るだけ正確に伝えたい。その欲求は湯水のように湧いてきて私を動かす。

自分が触って楽しいと思えるツールを皆に利用して貰うのは大変に喜ばしい事だし、小説を読んでくれた人に「面白い」といって貰えた時の幸せといったらない。

さあ、もっとよくしよう、もっといいものを作ろうとしたとき。さらなる何かを生み出そうとしたとき、その呪詛は私を絡め取って離さなくなる。

楽しんでもらえる物を作る以上、「面白ければ良い」という価値観は真理だし、これ以上に優先するべき事は無いと私は考えている。これは他の創作者さんも感じていることだというのが、コミュニティに所属していてなんとなく分かってきた。念のために付け足すと、大多数というわけではない。私は全ての創作者さんと知り合いなわけではないのだから。

アニメ化、映画化されている作品を読んで「面白い」と感じた時の感覚を私は大切にしたい。それは世間とずれていないということで、面白い感じる私の嗜好がズレていない一つのパラメータとなる。逆に「面白くない」と感じた時は特に注意が必要だと思う。どうしてそれが面白くないのか。明確に言葉に出来る答えを持っておきたいと思う。私にとっての「面白くない」は、誰かにとっての「面白い」でもあるのだから。

どれだけ理屈を積み上げても無駄

アニメ、小説、漫画。エンタメに特化したメディアを軽く分解して、どうしてそれが面白いのか、どうすればこれが出来上がるのか。私は一人で思考を回すのがわりかし好きだ。

そうして分解した要素を並べて、組み替えて、どうしたら面白いものが出来上がるだろうか? と質問を投げかけたときに、帰ってくる答えが大抵「面白ければ良い」というものだった。どれだけ議論が白熱し、長い間に仮定と思考が繰り返されたとしても、誰かの「面白ければ良い」という言葉で幕が降りる。

女子高生、戦車、戦闘、死、生、エロ、グロ、コメディ、ラブ。色々な要素、色々なシナリオラインを組み上げたとしても、「面白ければ良い」で片が付く。要素で説明できない価値観。全てに優先されるからこそ、全ての答えになってしまう価値観が「面白ければ良い」というものなんだと私は思うようになった。

人を惹きつける面白さとは

例えば「最後まで読めば面白い」と評される小説があったとする。貴方はその小説を最後まで読める自信があるだろうか。とくに前評判も聞かず、適当に手に取ったとして、その本を貴方は果たして最後まで読めるか?

本当に面白い本だとしたら、私は最後まで読めると思う。最後の最後に用意された最高のエンディングのための道筋が、面白くないはずはないのだ。そこに至るまでの一文字一文字は、エンディングに向かうための確かな魅力を放っているに違いない。そして、その面白さは最後で爆発する。結果、爆発の印象だけ残って「最後まで読めば面白い」という評価に繋がるのだと私は思う。読み進められるだけの面白さが無いと、人は最後までは読まないものだ。楽しいことは無数にあり、それら一つ一つに私たちが最後まで目を通すには、時間はあまりにも限られている。

面白い小説は人を惹きつける力が強い。最初のページを開いた時、一行目を読んだ時。吸い込まれるような力が確かにある。これが「面白さ」だと直感する。どうすればこれを会得できるのだろう?

テリングの力

テリングとは、つまり語りだ。

人に訴えかける文章自体が持つ力。想像力をかき立てたり、説得させるために用いられる技術の一つ一つ。

演劇の演目が一つあったとして、それを素人がやるのと、プロがやるのではまるで違う。

動作、呼吸、声の張り、視線。あらゆる要素が一瞬で発散される。どんなに内容が同じでも、それを表現する人によって「面白さ」は如何様にも変化する。

つまり、「面白さ」を決めているのはテリングの力なのかもしれない。もちろん、全てがそうというわけでもない。あらゆる要素が整ってから、その底上げ、大部分をテリングが締めているのでは、と私は思う。

それでも分析する

ここまで考えた所で、私はまた振り出しに戻ってエンタメ作品の面白さを分析する。なぜこれが面白いのか、どうして面白いと感じるのか。

自分の感情の動きを観察して、納得できないと気が済まない。

そして、それがどうしても分からなかったとき、私はひどく困惑する。

面白いと感じる自分自身を見失う感覚とでもいうのか。落ち着かない気分になる。

趣味として活動していても、私の創作者としての砂糖の粒よりも小さな溶けかけのプライドが「よくわかんないけど面白い」という答えを拒絶するから起こる反応に違いない。

そして、私自身を縛る

そうやってどうにか噛み砕き、さて作ろうとしたとき。まっ白な画面、紙、エディタを見たとき。「面白ければ良い」という価値観が私を縛る。

私が考える「面白い」は、果たして人に伝わるのだろうか。どうすれば伝わるのだろうか。どう組み上げれば、人の心を動かせるのか。

自分にしか分からない物で良いのならば、わざわざ表現して他人に見せる必要もないと私は思う。作るからには、皆に面白いといってもらえるものを作りたい。そうやって思考を回せば回すほど「面白ければ良い」という呪詛が私の脳に渦巻いて離れない。そこに辿り着く答えが欲しいのに、過程は仮定のまま下底に沈み込む。別に言葉遊びではなく、そういう表現がピタリと当てはまる気がしてしまうのだ。

荒々しさが皮肉にもコンパクトにすっきりと「同人王」感想

概要

特に努力もしたことがなく、人付き合いも破滅的に悪く、しかしプライドだけは高く。典型的なダメ人間であるタケオはズブズブと人生のどん底に落ちていく。

その中で、ついに出した自身への答えが「同人誌」を出して稼ぐ事。

タケオの人生最大の賭けが幕を開ける。

典型的なサクセスの皮を被ったリアル

タケオの向こう見ずな行動や思考は、しかし創作における私たちの無意味な自信やプライドに通じるところがある。

物を作るという行為それ自体が私たちに及ぼす精神状態。その様を見事に、リアルに描いて見せているのはさすがといったところ。

しかしお世辞にも、単純なサクセス物としてこの本を読むとあまりにもご都合主義であり、淡々と時間軸が進む。枝葉が分かれていないシンプルな話の流れは、あまりにもタケオの成長がまっすぐ描かれて過ぎているのだ。伏線や目立たせたいコマがさらりと流れていき起伏に乏しいとさえ思えてしまう。

一方で「こういうものなんだよな、うんうん」というじんわり来るものも確かにあるのだ。創作ってそういうもんだよな。わかる、わかるよ。回りは天才で、俺は自分を信じることでしか自我を保てないんだよ。なんといわれようと、心の中では俺が一番だと思い続けてないとガラガラ崩れそうなんだよね。・・・みたいな。

著者の魂の声が聞こえるか

web漫画独特の荒々しさ、蛇足感、無駄ゴマがあまり見受けられない。スッキリ。コンパクト。その理由はあとがき漫画に描かれている。

そこには著者がweb連載時に感じていた葛藤や苦悩が赤裸々すぎるほどにつづられている。その数ページの濃さといったら。まるで濃縮された呪詛だ。ドロドロとした感情が煮詰まり、ぶちまけられているように思う。それでも最後に「ありがとう」と言ってのけた著者に拍手を送りたい。

そうして出来上がったと知ったこの本を、もう一度最初から読み返すとまた違った味わいを感じる。私はこの物語がたまらなく愛おしい。

何度も何度も叩いて作り直された物語は、残念ながらコンパクトにまとまってしまった、というのが私の印象だ。

それでも、この作品に魂が詰まっているのを確かに感じる。

4コマで分かるエリュシオンTRPGに「aoringo CHAT conv」が紹介されました。

ELYSION 4コマで分かるエリュシオン TRPG 第37回「整形しよう」
 リプレイ執筆講座第一回でも触れましたが、リプレイが他の人に読んでもらうためのものである以上、読み物として『整形(書式などを整えること)』が必要になります。 …

twitterで流れてきた知ったのですが、私のツールが紹介されておりました!!

ありがとうございますっありがとうございますっ!!(土下座)

しかもなんか青林檎の絵まで漫画の中に描かれてるじゃないですかっ!

もう全ての文末が「!」で埋まるくらいうれしいわけですよ。本当にありがとうございます。今後もaoringo works共々よろしくおねがいいたします。

ちなみに該当漫画で紹介されているのは、

aoringo CHAT conv

ですね。IRCやどどんとふなどのチャットログを、プレーンテキストで整形して吐き出します。リプレイとして編集する前の読みやすさのため、書籍化にする前の手間の削除のために利用していただけるかなと思い作成されたツールです。

このままだとホームページにあげても見た目が・・・という時のために、

aoringo CHAT logger

というツールもあります。こちらはログをHTMLタグで整形して出力します。ホームページなどを運営している方はこちらもご利用ください。

なお、各種ツールへの要望や、新しいツールの希望などもどしどし受け付けております。当ブログやtwitterでお気軽に問い合わせくださいな。

重ねることになりますが、これからもaoringo worksは「恋と冒険の学園TRPG エリュシオン」やTRPG全般を全力で応援すると共に、楽しい事や面白い事にも全力を出して取り組んでまいります。

安定した疾走感とこだわりと欲望が見える「絶体絶命英雄」感想

概要

お節介にお節介すぎる主人公「志村 九地(しむら きゅうち)」は、車に轢かれそうな猫を助けようとして、死んでしまう。しかし、もうろうとした意識の中で、彼は誰かに呼ばれる。

目覚めれば、彼は少女の体に入り、化け物に囲まれていたっ。

という、何処の誰かもわからぬ女の子に憑依? し窮地を救うという物語。

わかりやすい。ものすごく。

感想

とにかくテンションとスピード感を保つ事に終始している。勢いのある大ゴマ、なびく衣服、鮮やかな色。元々はニコニコで漫画連載されているものらしく、一ページ三つの大枠が充てられている。この状態で物語の緩急をつけられているのは中々興味深い。

全編フルカラー。独特なかわいらしい絵と彩色がまず目を引く。

キャラクターたちの性格も単純で、話も複雑な事は特になく、小難しい概念などを理解しなくても良い。窮地に陥る女の子を、どのように救うか。その一点のみに集約されているのが素晴らしい。

黒幕らしきモンスターは、幸せな少女たちが絶望に染まり、窮地に陥ったその瞬間を摘み取るのが目的なようで、その点どこか魔法少女物に通じるものがある。ただ、窮地に陥る少女に入るのが男というあたり、欲望に突き抜けている。

この一冊には、導入となるオーソドックスなモンスターたちに襲われる少女と、成績優秀超真面目女学生が尿意を我慢する話が含まれている。

まあ、肩の力を抜いて羞恥に歪む少女にニヤニヤするのも良いと思うよ。

どうやら「売れれば二巻が出る」ようで。がんばってほしいと切に願う。