※この小説は、所謂「捨艦戦法」を取り扱っています。拒否反応を起こす方、不快に感じる方は読むのをお控えください。また、私自身にこの方法を批判する意図は無く、あくまでもそこから発想を得ただけのものとなります。 他人のプレイスタイルに口出しするのはメ! なのです!! ◇ ガチャガチャ、ガチャガチャ。ピカピカに新しい装備が楽しそうな音を立てる。 コンクリートで固められた廊下は灰色で単調だけれど、窓から見える海はどこまでも青くって、丸い。 うん、結構良いところね。 指示された部屋はすぐ見つかった。ここで出撃の指示を待てば良いのね。 力一杯に扉を開ける。 「新しく建造された雷よ! どうぞよろしく!!」 期待半分、緊張半分で私は声を上げた。広々としたロビーには沢山の艦娘たちが詰めていて、なんだか不思議な雰囲気。 ……。 誰も声を返してこない。何故かしら? 少し不安になりながら、私は辺りを見回した。 誰も喋らない。俯いていたり、時計をじぃっと見つめていたり。たまに、装備や服がこすれる音がするだけ。 さすがの私もちょっとだけ怖くなって、隅の方に移動したわ。 「あ……」 見覚えのある後ろ姿。結い上げた後ろ髪。間違いない。 そこには私の妹艦である電がいた。お姉ちゃんの私を差し置いて、先にいるなんて。 「電じゃない! どうして誰も喋らないの? というか私がいるのにどうして声をかけてくれな――」 頬に衝撃が走った。視界が一気に横にそれる。 ……「ぶたれた」それが分かるまで数秒かかったわ。電に頬をぶたれた。なんで? 「っ! なにするの……よ……」 荒げた声は、だけれど尻すぼみで終わった。 煤けた服と体、疲れが色濃く出た目尻、傷だらけの装備――、何より、私を見ているようで、見ていない瞳。 本当に貴方、電? そう、口に出すことは出来なかった。 今度はおなかに衝撃があった。遅れて、鈍痛がじんわりとせり上がってくる。 「ハッ……!」 肺から空気が出ていくのってとっても痛いのね。見れば、電の膝が私のおなかにめり込んでいる。 同時に、部屋にサイレンが鳴り響いた。気がする。 というのも、苦しさのあまり跪いた私の顔に、電の拳が迫っていたから。 ◇ 「うっ」 気がつけば、電はいなくなっていた。あれからずっと、ロビーの隅っこで転がされていたらしい。時計を見ていなかったから、どれくらい倒れていたのかも分からないわ。 それにしても、みんな無視するなんて。ひどいところね。 「痛、たたた……」 どうにか手だけで這うことは出来る。おなかに力を入れるとすごく痛い。 背中を壁に預けて一息つ。立ち上がるにはもうちょっと時間が必要ね。 「ハァ、ハァ」 若干ヒューヒューと呼吸音がするけれど、多分、大丈夫。骨も折れてはいないみたい。 「ぐ……うう……っ」 膝を抱えて、静かに泣いたわ。ちょっとだけ、本当にちょっとだけね。 電、どうしちゃったの? ううん、電だけじゃない。他の子たちもそう。 ここは異様だわ。なにかがおかしい。 窓のカーテンは閉め切られて、皆怯えるように耐えているみたい。 なんで? どうして? あの窓の向こうになにか居るの? 青い、丸くて綺麗な海の向こうに。
「創作」カテゴリーアーカイブ
女の子の気持ちが今日少しだけ分かった気がした
正確には「今までズボンを履いていた女の子が初めてスカートを履いたときの気持ち」なんですけれどね。
まあズボンがやぶけたんですわ
股の所がズババっと割けたわけです! あ、写真とかは別にアップしませんよ? 誰も野郎の破れた股画像なんて見たくないですよね。
そんなに大胆なわけではないですけれど、ちょっと油断するとトランクスィーが見えます。もろっと。
まあどうしようかなって思ったんですが、ふと「女の子って常にこの状態で過ごしてるのかな?」って思ったわけです。
凄いですよね。羞恥心にさいなまれます。あまつさえ、自身の意思でそのような状態になるわけですから尚更です。
スカートにも色々種類があるのは私も知ってますが、見えそうで見えない! そんなスカートを履いている女性も大勢いるわけですよ。
気になり出すと止まらない
まあそんな訳で、気になったなら仕方がない。試しにこのまま過ごしてみようと考えた訳です。女性がどういう風にしてデリケートゾーンを守っているのか。身をもって知るチャンスです。別に変な趣味とかは無いですよ。本当に。
はてさて、破れたのは大体チャックの部分の下あたりから太ももにかけて。
みえそでみえない♪
というか普通に過ごしている分には大丈夫そう。かがむと見えそう。脚を閉じてると大丈夫。そんな感じですか。
視線が気になる
とにかく視線が気になりますね。見られているのじゃないかという疑心暗鬼に陥ります。
歩幅が短くなり、真っ直ぐ歩くのが苦痛。前を見るのが辛い。
股間が気になる。
自分のその箇所が今どういった状況にあるのかが大変きになって仕方ない。
しかし脚を動かしている分には自分でも確認できない。視点から上手く隠れている。ああ、気になる、気になる。笑い声が自分に向けられているのではないかと気になってしまうのです。あとちゃんとしたトランクス履いてきたっけとかそんな心配までし始める。おかしい。今の私の嗜好経路は確実におかしな方向に転がり始めている。
これはあれですね。小説の心理描写に使えそうです。
じてんしゃああああ
自転車やばいです。凄いです自転車。スースーする! すっごいスースーするよおおお!!
風が入り込んできてふとももを撫でていきます。
いやあ、凄いですね自転車。
自転車すっごい。すっごいのもう。
女の子座り的な姿勢の大切さを知りました。きちんとガードできて自転車も漕ぐことが出来ます。
あの脚は「女性」が自然にするわけではなくて、服装がそうさせるのですね。びっくりです。
だから常にガニマタな女性は、別にそういった姿勢を心がけているわけではないだけ。骨格的には差異は無いのです。考えれば当たり前ですが、体験するとわかります。なるほど。
まとめ
そういうわけで女性の気持ちが少しだけわかったような気がする一日でした。
そう、これが「今までズボンを履いていた女の子が初めてスカートを履いたときの気持ち」なわけですよ。今までズボンを履いていたんだけれど、今日からスカート。スースーするし周囲の目が気になるし端から見ておかしいのかわからないしあーもーあーもー! と赤面して下をうつむく女の子の気持ちです! ピュアピュアで萌え萌えの定番エピソードですが自分で体験するとは思わなかった。
やー、これは創作のヒントになりますよ。気になる人は是非とも体験してみては。この感覚はやってみないとわからないんだぜ。
ちなみにこのプラナス・ガールという作品は主人公が女装したヒロイン(?)とイチャラブする漫画です。むっちゃええので読んでみるといいと思うヨ!
明日から仕事着どうしよ。
あと、念のために言っておきますが、私は別に露出狂趣味の変態ではありませんし女装趣味もありません。あくまで創作のためのヒントとして思考したフィクションを記事にまとめただけのものです。念のため、念のため。
準にゃんと結婚したい。
物語における「リアリティ」はどこまで追求するべきか
はじめに
まあ簡単な思考実験なようなもので、特にライトノベルはRPGゲームなんかによくある特殊能力についての思考実験であります。
たまに物語を評価するときに「リアル」ではないからという理由で否定する人がいます。おそらくその人にとっては、リアルであるかないかが「おもしろい」か「おもしろくない」の基準になるのでしょう。
御坂美琴はどのような能力を所有しているのか
たまたま目に付いたこの娘で考えてみようと思う。
御坂美琴は「とある科学の超電磁砲」の主人公で、発電系の能力の持ち主。
有する能力はレベル5の発電系能力「超電磁砲(レールガン)」。
発電能力における最高の能力であり、他の同系統能力者とは別格の強さを誇る。後述のように多彩な攻撃技や様々な応用も利くオールラウンドな能力である。
基本となる攻撃は速度と連射性に優れた直接電気を放出する電撃。作中ではよく高圧電流の槍を投げつける「雷撃の槍」を使用しており、最大電圧は10億ボルト。落雷を落とすことも可能。
能力の詳細はこんな感じ。
どういう原理か
良く見る「超電磁砲(レールガン)」は指でコインを弾いて電磁加速を加えて敵を攻撃するものだが、電磁加速というからには、おそらく原理的には「コイルガン」のようなものだと思われる。イメージ的にはトンネルのように電界を作って、その中をコインを潜らせるのだ。空気中の酸素濃度が湿度を自在に操る必要がある。
現実にある「レールガン」は、電位差のある電気を流したレールの間に弾丸となる物体を置き、そこに電流が流れることによって発生する磁場によって発射される兵器だ。御坂美琴の小さな手では、レールとしては距離が短すぎる。
仮に彼女の技が「レールガン」の原理によって発動していた場合のことを考えてみようと思う。
急激に加速するコインの衝撃に耐えられる耐爆能力。摩擦による熱を防ぐ耐熱能力。一極集中しても皮膚が破裂しないために絶縁性能、耐電能力。電流をスムーズに移動させる導電能力。周囲に放電しないための空気濃度、もしくは湿度変化能力。
身体的にも、彼女の筋肉、骨はスーパーマンなみに強力な可能性がありそうだ。
他にも周囲にある鉄を自由に浮遊させたり、砂鉄を操ったり。はては空気中の水分を利用して加速浮遊移動を行えたりするらしい。マグニートー真っ青ってレベルじゃない。
と、計算はしなくても彼女の能力がどれだけ半端無いのかを推し量ることはできる。しかし、物語の「楽しさ」に、こういった視点は必要だろうか? 一度立ち止まって考える必要があると思う。
同様の問題はゲームなどにもある
あるFPSゲーム(一人称視点で銃を持ってお互いに打ち合う対戦ゲーム)には銃弾が部位に当たる事によって「負傷する」という要素があった。肩に当たれば命中精度が下がり、足に当たれば走れなくなる。顔に当たると血で視界が悪くなってしまう。血が流れれば早く止血しないと死ぬ。などだ。
そのゲームが果たして流行ったかというと、最初はニッチな人気は得たが、最終的にはバランス調整に失敗。過疎の一途であった。リアルを求めるとゲームとしての「楽しさ」とのバランスをとるのがとても難しくなる。
時には現実的な思考は邪魔になるという良い例だと私は思う。
まとめ
創作をしていると、どうしても能力を現実的な面から考えてみたくなる事がある。そういうときに「これだけリアルにしたんだ。おもしろいに違いない」と考えるのは思考のループに陥りがちだ。敵の能力は? 味方の能力は? 倒し方は? 矛盾していないか・・・?
最終的に、人に見せる前にストーリーライン上に矛盾が生じて、筆を進める事が出来なくなる。自分の物語に自分が殺されてしまう。そして、そうやって完成した物語は果たしておもしろいのかどうか・・・?
もちろん、それ相応の膨大な知識量に支えられた緻密な物語は確かにある。かなりの労力が必要なのは明白だけれども。
いつだって問題はトレードオフだ。あちらを立てればこちらが立たない。説明に終始すれば物語は進まない。物語に終始すれば説明がおろそかになる。意識的にバランスを計る必要がある。
創作につきまとう「面白ければ良い」という呪詛
何をもって「面白い」とするのか
私が創作(小説、絵、プログラム、シナリオ)をする理由は「楽しい」というものの他に、「伝えたい」というものがある。自分の感じた面白いという感情を、出来るだけ正確に伝えたい。その欲求は湯水のように湧いてきて私を動かす。
自分が触って楽しいと思えるツールを皆に利用して貰うのは大変に喜ばしい事だし、小説を読んでくれた人に「面白い」といって貰えた時の幸せといったらない。
さあ、もっとよくしよう、もっといいものを作ろうとしたとき。さらなる何かを生み出そうとしたとき、その呪詛は私を絡め取って離さなくなる。
楽しんでもらえる物を作る以上、「面白ければ良い」という価値観は真理だし、これ以上に優先するべき事は無いと私は考えている。これは他の創作者さんも感じていることだというのが、コミュニティに所属していてなんとなく分かってきた。念のために付け足すと、大多数というわけではない。私は全ての創作者さんと知り合いなわけではないのだから。
アニメ化、映画化されている作品を読んで「面白い」と感じた時の感覚を私は大切にしたい。それは世間とずれていないということで、面白い感じる私の嗜好がズレていない一つのパラメータとなる。逆に「面白くない」と感じた時は特に注意が必要だと思う。どうしてそれが面白くないのか。明確に言葉に出来る答えを持っておきたいと思う。私にとっての「面白くない」は、誰かにとっての「面白い」でもあるのだから。
どれだけ理屈を積み上げても無駄
アニメ、小説、漫画。エンタメに特化したメディアを軽く分解して、どうしてそれが面白いのか、どうすればこれが出来上がるのか。私は一人で思考を回すのがわりかし好きだ。
そうして分解した要素を並べて、組み替えて、どうしたら面白いものが出来上がるだろうか? と質問を投げかけたときに、帰ってくる答えが大抵「面白ければ良い」というものだった。どれだけ議論が白熱し、長い間に仮定と思考が繰り返されたとしても、誰かの「面白ければ良い」という言葉で幕が降りる。
女子高生、戦車、戦闘、死、生、エロ、グロ、コメディ、ラブ。色々な要素、色々なシナリオラインを組み上げたとしても、「面白ければ良い」で片が付く。要素で説明できない価値観。全てに優先されるからこそ、全ての答えになってしまう価値観が「面白ければ良い」というものなんだと私は思うようになった。
人を惹きつける面白さとは
例えば「最後まで読めば面白い」と評される小説があったとする。貴方はその小説を最後まで読める自信があるだろうか。とくに前評判も聞かず、適当に手に取ったとして、その本を貴方は果たして最後まで読めるか?
本当に面白い本だとしたら、私は最後まで読めると思う。最後の最後に用意された最高のエンディングのための道筋が、面白くないはずはないのだ。そこに至るまでの一文字一文字は、エンディングに向かうための確かな魅力を放っているに違いない。そして、その面白さは最後で爆発する。結果、爆発の印象だけ残って「最後まで読めば面白い」という評価に繋がるのだと私は思う。読み進められるだけの面白さが無いと、人は最後までは読まないものだ。楽しいことは無数にあり、それら一つ一つに私たちが最後まで目を通すには、時間はあまりにも限られている。
面白い小説は人を惹きつける力が強い。最初のページを開いた時、一行目を読んだ時。吸い込まれるような力が確かにある。これが「面白さ」だと直感する。どうすればこれを会得できるのだろう?
テリングの力
テリングとは、つまり語りだ。
人に訴えかける文章自体が持つ力。想像力をかき立てたり、説得させるために用いられる技術の一つ一つ。
演劇の演目が一つあったとして、それを素人がやるのと、プロがやるのではまるで違う。
動作、呼吸、声の張り、視線。あらゆる要素が一瞬で発散される。どんなに内容が同じでも、それを表現する人によって「面白さ」は如何様にも変化する。
つまり、「面白さ」を決めているのはテリングの力なのかもしれない。もちろん、全てがそうというわけでもない。あらゆる要素が整ってから、その底上げ、大部分をテリングが締めているのでは、と私は思う。
それでも分析する
ここまで考えた所で、私はまた振り出しに戻ってエンタメ作品の面白さを分析する。なぜこれが面白いのか、どうして面白いと感じるのか。
自分の感情の動きを観察して、納得できないと気が済まない。
そして、それがどうしても分からなかったとき、私はひどく困惑する。
面白いと感じる自分自身を見失う感覚とでもいうのか。落ち着かない気分になる。
趣味として活動していても、私の創作者としての砂糖の粒よりも小さな溶けかけのプライドが「よくわかんないけど面白い」という答えを拒絶するから起こる反応に違いない。
そして、私自身を縛る
そうやってどうにか噛み砕き、さて作ろうとしたとき。まっ白な画面、紙、エディタを見たとき。「面白ければ良い」という価値観が私を縛る。
私が考える「面白い」は、果たして人に伝わるのだろうか。どうすれば伝わるのだろうか。どう組み上げれば、人の心を動かせるのか。
自分にしか分からない物で良いのならば、わざわざ表現して他人に見せる必要もないと私は思う。作るからには、皆に面白いといってもらえるものを作りたい。そうやって思考を回せば回すほど「面白ければ良い」という呪詛が私の脳に渦巻いて離れない。そこに辿り着く答えが欲しいのに、過程は仮定のまま下底に沈み込む。別に言葉遊びではなく、そういう表現がピタリと当てはまる気がしてしまうのだ。
キャラクターの特徴を決定づける「役割語」についての雑感
創作、特に小説を何作も作っていると、キャラクターについて思い悩む時がある。
「~なのよ」「~ですわ」「にゃんと困ったにゃ」・・・。
ほとんどの人がこの「役割語」について、ふと、違和感というか、不自然さを覚えるのではないだろうか。
役割語の効果を改めて知る
そもそも役割語とは何か。
様々な物語作品やメディア作品(外国語作品の翻訳も含む)、特に子供向け作品やB級作品において、老人は「そうなんじゃ、わしは知っとるんじゃ」、貴婦人は「そうですわ、わたくしは存じておりますわ」のような言葉遣いを用いる。そのような言葉遣いの老人や貴婦人は現実にはほとんどいないが、日本語話者であれば言葉遣いを見聞きするだけで「老人」「貴婦人」のイメージを自然に思い浮かべることができる。これらは物語作品やメディア作品で繰り返し使われることで、特定のイメージが社会で広く共有されるに至った言葉遣いである。物語の中で、老人としての役割を担う登場人物は老人の役割語を、貴婦人としての役割を担う登場人物は貴婦人の役割語を話すのである。
via: 役割語 – Wikipedia
つまり役割語とは、「読者がそのキャラクターをイメージするための手がかり」の、文字通り役割を果たす。
例えば違和感に負けて、キャラクターを、自然に、現実にいるような言葉使いで喋らせてみようと思う。
「それじゃあ、お前がやってみるといい」 「え? なんでそうなるの? 私はそもそも乗り気じゃなかったし。ミキやりなよ」 「私? 意味わかんないし。お前が勝手に話を進めてたんじゃん」 「らちがあかないな」
良くある口論の典型的な会話だが、ここに居るのは「何人」で、どの「性別」だろうか。ぱっと見ではわからない。ここで、役割語を設定してみる。
「それじゃあ、お前がやってみるといいぜ」 「え? なんでそうなるのよ。 私はそもそも乗り気じゃなかったしー。ミキがやりなさいよ」 「あたし? 意味わっかんない。あんたらが勝手に話を進めてたんじゃん。今更話ふらないでよね」 「らちがあかないニャ~」
ぐっと分かりやすくなった。ここには四人のキャラクターが居ることが明白だ。女性が二人、男性が一人、猫(もしくはそれに準じた何か、もしやもするとそんな口調の変人)が一匹。さらに女性の一人は名前も分かっている。
誰が喋ったのか。地文で説明せずとも、読者はするりと理解し読む事が出来る。これは大きなメリットであり、そして技術だ。
会話の途中で挟まれる「~がそう言った」「と~が笑った」といった地文は多くなるとテンポを乱し、障害になり得る。役割語はその地文を大幅に省略する力を持っている。
役割語はキャラクターを表す
どのような役割語を持っているかによって、そのキャラクターの「性質」を表す事が出来る。
「~ですわ」というキャラクターはお嬢さまで、ほとんどの場合は高飛車・ツンデレ。「~じゃ」はおじいちゃん、博士。「あんまり少し」が口癖なら理屈っぽくて煙に巻くような性格かもしれない。「良く分かんないが分かったぜ!」バカ、単純、熱血。「~にゃ」猫、自分勝手。
その上でどういうキャラクター回しをするのかは人によるだろうが、商業作品、特に「ライトノベル」で活躍している人たちはこの役割語が設定されたキャラクターを操るのが抜群に上手だ。「単純にそのキャラクターにその役割語が設定されているから、こういう性格でこういう行動をする」というだけでは終わらず、そこからさらに個性を継ぎ足して深みをつけている。
例えば「ノーゲーム・ノーライフ」は、ゲームが全ての優劣を決める異世界での冒険劇が繰り広げられる。その冒頭、有り金を全て巻き上げられた貴族の娘が、主人公に食ってかかるシーンがある。
主人公である「空」は、負け込んでいる「~ですわ」口調の少女「ステファニー」をわざと怒らせようと口を開く。
「あの程度のイカサマも見破れず、挙句八つ当たり……しかも子供に図星を突かれていちいち怒りを顔に出すーまったく短絡的。コレが旧国王の血筋なら負け込むのも当然だ」 ――と。 知能の低い動物を哀れ見るような目で、そう言う空に。 ステファニーの目が見開き、続いて怒りに表情を震わせて睨む。 「………………撤回……しなさい」 「撤回? はは、なんで?」 「私はともかくー御爺様まで愚弄するのは許しませんわっ!」 ―― ノ-ゲーム・ノーライフ1 ゲーマー兄妹がファンタジー世界を征服するそうです p75
典型的な高飛車、貴族、ですわ口調なキャラクターであるとここで色濃く提示される。そして恐らく「ツンデレ」であるとも。
さて、この小説が面白いのは、ゲームで勝った方が負けた方に好きな要求ができるという設定にある。これによって人はもちろん、国さえも賭の対象にされてゲームが行われている異世界だ。
主人公はそんな異世界に落とされて右も左も分からない。しかしゲームの天才である主人公は、この少女を最初の対戦相手として勝負するため挑発している。
「――賭けるのは、何ですの?」 話が早くて助かる――とでも言いたげに、にやぁと、空が笑って答える。 「おまえが勝ったら、おまえの要求を全て呑もう。おまえが負けた理由、イカサマの真相を教えてもいいし、愚王のジジイを侮辱した罪で、死ねというならそれも仕方ない」 「…………このッ」 「――で! 俺が勝ったら。逆におまえが、俺の要求を全て呑むわけだ」 楽しそうな、だが氷より冷たい表情に、不気味に笑みを張り付かせて。 下品にも、醜悪にも、そして――冷酷にも思える口調で、こう続ける。 「こっちは命を賭けるんだ――そっちも、貞操とか色々、賭けてもいいだろ?」 頭に上った血が、寒気に引いていくのを感じるステファニー。 ―― ノ-ゲーム・ノーライフ1 ゲーマー兄妹がファンタジー世界を征服するそうです p77
一瞬、少女は冷静になる。しかし、血筋のプライドもある少女はこの勝負を飲み、そして負ける。そこでの主人公の敗者に対する要求も大変面白いので、続きは是非とも本を手にとって貰いたい。
さて、役割語の手伝いによって、少女の反応が実に「わかりやすい」のがわかるはずだ。そのキャラクターがどういった反応を返すのか、どういう条件をのむのか、どのような言葉に感情を隆起させるのか。主人公の心理的な描写はほとんどないが、何を狙い、どこに話を持っていこうとしているのかはなんとなく伝わってくる。
役割語はその時の空気感すら演出してみせる力を持っている。それが理解して、上手く扱えるようになれば深みがあり、面白みのあるキャラクターが生まれるはずだ。
役割語からのギャップ
これも重要な事でもあるが、役割語自体をフックとして、ギャップを生み出す事は可能なのだ。
老人言葉を喋る幼女、猫のような言葉使いで喋るマッチョマンなどなど。役割語からあえて外れたキャラクターは意外と多い。そのインパクトたるや。
多重人格や、体の中に別人格がいて、その変化で口調が変わったりするのは文章としては大変分かりやすい物だ。容姿が変わったとしても、言葉に表れなかったら表現の難易度は上がる。
さいごに
このように、役割語はそのキャラクターを集約するのと共に、深めるためのギミックとして扱う事も出来る大事な要素だ。
キャラクターを作るときは、是非とも「口調」や「口癖」を設定してみてほしい。そのキャラクターがとたんに生き生きとしてくるはずだと、私は思う。
[焼きそばパン競作]勝負の焼きそばパン
「先輩っ勝負をしましょう!!」 僕が横を見ると、後輩のミキが不敵な笑みをたたえて焼きそばパンを掲げていた。軽い足踏みに合わせてツインテールがピコピコ揺れている。 「焼きそばパンをかけるです!」 なんですその取ってつけた語尾はですか。 「……勝った方が焼きそばパンを購入できる?」「です!」 「それ最後の一個?」「です!!」 うーん。 「けど僕、今日はメロンパン食べたいなぁって」 新発売らしい、これでもかと売り文句が躍るビニール袋を手に取った。こういうのに弱いんだよね。 「私は焼きそばパンな気分です」ミキは眉を寄せる。 「ですか」 「メロンパンな気分じゃないんです」 「うん」 ミキは僕の手からメロンパンを取り上げ、棚に戻してしまう。 「なので焼きそばパンで勝負です!!」 「うん、え?」 え? 「はい! じゃーんけーん!!」 「おお?!」 日本人の性なのか、僕は条件反射で拳を固めて振り下ろす――。 ◇ 「ふっふー、勝利の味は格別ですなあ」 「それはようござんした」 じゃんけん勝負はミキの勝ち。店先のベンチで座った彼女は早速、戦利品の焼きそばパンを頬張っている。 僕の手にはメロンパンだ。結局なんの勝負だったのかよくわからない。 「あー、もう一個食べたいなあ」 「早っ」 こちらのメロンパンはまだ半分くらい残っている。 「ん、ミキちょっと」 僕の手がミキの唇の端をなでる。「んに?」と彼女はキョトンとしてされるがままだ。 「ソースがついてたよ」 指先を舐めると、濃い味が一気に口に広がった。 「……あ」 「あ?」 「あーーーーー!!」 !? ミキはガバっと立ち上がり、僕に指を突きつけた。 「焼きそばパン食べた!」 「え? え?」 「ダメです食べちゃダメなんですダメですぅー!」 「あ、もしかしてソース? 良いじゃかそれくら――」 「ダーメー!!」 なにこのわがままな子、助けて。 「返して下さい」 「そう言われても」 ソースですし。 「返して下さい」 「えーっと、売ってる店探そうか」 「今です! なうです!」 「えええええ……」 鼻息荒くしたミキが、がしっと僕の胸元を掴む。今にも馬乗りになりそうな勢いだ。 「返して貰います」 そして不敵な笑み。さっきと同じ、勝負をしかけてくるときの顔。 ゆっくりと彼女の顔が近づいてくる。 僕はそのまま何もできるわけもなくて――。
[焼きそばパン競作]食感ってとっても大切なのよ
地下二階。洞窟を掘り抜いたかのように岩肌むき出しな廊下の隅の売店で、俺はもうかれこれ二十分以上も悩んでいた。並ぶ品々はとにかく多彩。緑色でスライム質のなにか、ラッピングされた動物の腕にしか見えない生肉、蛍光黄色のレンコン、携帯ゲーム機、エトセトラ、エトセトラ。 まるで、抽象絵画かシュールレアリスムな空間から抜け出してきたような光景だった。「レンジとお湯はセルフサービス」という札が、ここが間違いなく売店で、しかも食料品メインで販売していると訴えている。 「昼休みが終わるぜにーちゃん」 彫刻よろしく、表情をまったく変えない店員が言った。 「あ、はあ。いや、えっと。はい」 俺は曖昧に答えて、また色彩博覧会に視線を落とす。ど、どれが俺の口に合う――というより「食べられる」んだ? 目が眩みながらもゆっくりと探していく。と、 ――焼きそばパン!? それは間違いなく、総菜パンのレジェンドオブ定番とも言える食べ物だった。ラベルにも間違いなく「焼きそばパン」とある。 俺の手が、半ば条件反射的にそれを掴もうと伸びた。 が、まるで間に入るかのように誰かの腕が割り込んでくる。 「……なに人の手掴んでるの」 まっ白な腕、それでいて体温をまるで感じさせない冷たさで、サラサラとしている。 「あ、ごめん」 俺は慌てて手を離し、声の主に向き直った。 腕と同様、肌はどこまでも白。感じなかった体温のように顔は無表情で、けれども影に隠れた大きな瞳が俺を貫き見据えているように感じる。灰色と黒のフリルがふんだんにあしらわれたドレスを着ていて、ちりばめられたシルバーの装飾が冷たく光っていた。 まるで、彼女だけが無機質、モノクロの世界に取り残されたような、そんな錯覚すらおぼえる。 「これが、欲しかったの?」 幽霊を思わせるか細い声で言いながら、彼女は焼きそばパンを胸に抱いた。動きに合わせて、カシャンと音が鳴る。 「ああ。他のものは俺に合いそうにないから……」 「そう」 彼女が店員に金を渡そうとした。 「ちょ、ちょちょちょ待って!?」 「なによ」 慌てて腕を取ってとめると、彼女は不機嫌そうに口を少しだけ大きく開く。 「俺にはそれしかないっていったよね」 「いったけど」 「『譲ってもらえないか』ってこと!」 「なんで」 「いや、なんでって……」 「私は今日は、これを食べたい気分なの」 「『今日は』ってことは、他のを食べることもできるんだろ!?」 「できるけれど」 彼女はちらりと並ぶ品々を見まわして、 「やっぱり『今日は』これ」 「ええええええええ……」 俺は軽く目眩を感じた。なんだよ今日はって。いいじゃないかよ譲ってくれたって……。 「なあ、頼むよ。俺には……「人間」の俺には、それしか食べられそうなものがないんだ。頼む、この通りだ」 深々と頭を下げた。 彼女が体を傾けるのが、雰囲気と音でわかる。 「そう言われても、私だって、今日はこれ」 「つったって、君――」 俺は体勢を整えて、 「――骨じゃないか」 と言った。 「骨だけど」 彼女はあごをカシャンと閉じて頷いた。 そう、彼女は骨、スケルトン。腰にぶら下がったシミターは相当の年代物だろう。それが焼きそばパンを胸に抱いて、お嬢さま然とたたずんでいるのだ。 「味覚は?」 「ないわ」 「だったら!」 「触感ってとても大事なの」 「……」 もはや、ぐうの音もでない。 ぐー。 や、お腹はぐうといってのけた。 「お腹、すいてるの?」 「ああ、今日はなにも食べてない」 そもそも食べれるものに出会ったためしがない。ここ、この『学園』。ダンジョンをまるごと敷地にした、モンスターたちが通う全寮制の学校へと入れられてから、ついに見つけた唯一の食料なのだ。 「それならさっさと言いなさいな」 「いやいや、察してくれよ」 彼女は首を傾げて少し考えるような間があったあと、店員に今度こそ金を払ってしまった。 「ああ!?」 「一緒に食べましょう」 「へ?」 焼きそばパンを胸に抱き、さっさと廊下を歩き出してしまう。 慌てて追いかける俺の背中に、店員であるモアイの「おいしくめしあがれ!」という低い声が届いた。
物語における「変わらない主人公」考察もしくは雑感
数多の物語において、いわゆる成長しない主人公、変わらない主人公というのはどういう描かれ方をするのだろうか。少ない知見量の中から考えてみたい。
そういう設定をされている or そこが見所ではない
日常系、短話形、推理物など。主人公が語り手、カメラ以上の必要性を持ちえていない物語においてはこれが当てはまると思う。
成長、つまり時間の流れを考えなくても良い、もしくは無い方が良いという形だ。読み続ける必要がなく、途中から読んでもなんら差し支えない。
すでに成長を終えている
物語が始まった時点で、ある程度の修羅場をくぐりぬけており、ほぼ伸びしろが無い状態にある主人公だ。
例えば「ソード・アート・オンライン」のキリトは、過去に色々な人物との関係性とやりとりにより原作一巻の落ち着きを得ている。ヒロインであるアスナや後々の登場人物とのふれあいによって多少は変化する心情があるものの、三巻以降はほとんど身体的にも精神的にも変化は見られないように思う。
「はぐれ勇者の鬼畜美学」の凰沢暁月もまた、成長を終えた主人公である。物語開始時点ですでに異世界の勇者としての役目を終えており、現実の世界に戻ってきている状態だ。この物語のコンセプトは「冒険を終えた勇者のその後」ということで、力量、精神的な成長も完全に終えている。ゲームで例えると強くてニューゲームといったところ。ヒロインも強力な魔法を物語はじめから使えたりする。
いわゆる「俺TUEEEE」などと言われるジャンルには、このタイプの主人公が多いのかもしれない。無双する強さを持ちながら、精神的に落ち着き、誰に対しても有利な立場にある。そういったキャラクターを主人公に添えた物語の需要があるという事は知っていていいのかもしれない。
映画に目を向けるとこのフォーマットは意外とよくあることに気づく。
裏切られたエリート軍人が復讐を誓う、さらわれた娘のためにハイパーお父さんががんばる、などなど。短い時間で快感を得る手法として、典型的な例ではないだろうか。
成長しない事が魅力
ある意味ではすでに成長を終えた主人公と同じかもしれないが、分けてみた。
「とある魔術の禁書目録」の上条当麻などはこれに当てはまる。どのような事件でも敵の特殊能力をはじく手のみで戦う。どちらかというと精神的な成長はしているのかもしれないが、作中にそれが発露することはあまりない。
変わらないからこそ、良い。というその典型なような気がする。
また、これを利用して一種のギミックとして使ったのが「僕は友達が少ない」の羽瀬川小鷹だ。彼は「難聴系主人公」というものに分類されるもので、恋愛事にとことん疎く、愛の告白やアクションに気づかなかったり「なんだって?」と聞こえないそぶりを見せる。どたばたコメディによくある何も進展しないタイプの主人公だが、それ自体を複線として物語に取り込んでいる。
精神的な成長がない
「変わらなさ」が魅力の主人公で、もっとも一般的なのはこれだろう。
代表的なものが「ドラゴンボール」の孫悟空である。力量は天井知らずに高まっていくが、その精神年齢は子供の時のままだ。強い敵が好きであり、それ以外に対しては完全に興味を示さない。
少年漫画の主人公はこのタイプが多い。
気づかれない位に成長が遅い
「主人公」という存在は、読者と常に一緒になって物語を進んでいく。そんななか、いきなり成長しては読者と主人公の間で「ギャップ」が生まれてしまい没入感が薄れてしまう原因になりかねない。
「マリア様がみてる」の主人公である福沢祐巳は、特に取り柄もなく平均・平凡な女子生徒であるが、ひょんなことから高嶺の花であるはずの上級生と関係を持つことになる。という粗筋。どこまでも完璧な上級生と、平凡な主人公のおっかなびっくりなやり取りを見ながらクスクス笑うという歯がゆくも上品な物語だ。下級生も入ってきて、二人の関係が落ち着き揺るがぬものになってきたころ、ふと視点が移る。外から見た主人公が密に描かれてみると、どんな事にも揺るがず、誰とでも親しく接するもう一つの主人公が顔をあらわす。
今まで主人公と一緒に時間を送ってきた読者は、ここでガツンとショックを受けるというわけだ。
周りを成長させる主人公
先述とは逆の立場にある主人公の形だ。「成長」を際立たせるには、常時隣にものさしが必要になる。戦闘ものならば隣にライバルが常にいて、主人公は常に彼を超越する存在となっている。前より強い敵が出て、主人公はまたそれを乗り越える。
しかし逆に、周りが圧倒的な力量を持っており、精神的にも勝ち得ない場合。主人公が守られる立場にある場合。成長をどう描けばよいのだろうか。
つまり、主人公がものさしになるしかない。成長する周りを、観測する主人公となるのである。
しかし、それでも常に物語は主人公を中心にして回る。
「魔法少女まどか☆マギカ」の鹿目まどかは、主人公でありながらほぼ最後まで魔法少女になることはない。悩みながらも周りから止められ、成長できない。刻々と進行する物語は周りをいやおう無く振り回し、諦めや達観を与えていく。そして主人公の最後の決断が、周囲の成長を促していく。
「涼宮ハルヒの憂鬱」のキョン(物語の中心人物としてはハルヒであるが、カメラ、語り手としては彼が主人公であると思う)は成長せず、常に流れに身を任せている。そんな中で、周囲の人物は何故だか彼に了解をとり、活動を続けていく。不思議な関係が脈々と続き、周囲は着実に変化を続けていき、それが色々な騒動を巻き起こしていく。
物語が進むのに、何も変わらない。変わらないことを強要されてるにしろ、変わらないと決意してるにしろ、それ自体が特殊な存在になる。
こうしてみると、表現が難しい主人公であることがわかる。
終わりに
えらそうに書き連ねておいて、考えていたのはただのパターンに当てはめただけという落ちになってしまった。
今後の創作の糧になる事を祈ろうと思う。
読みやすい文章を書くために個人的に気をつけていること
はじめに
文章を書くうえで、いろいろなブログでもこのテーマについては語られております。
今更というお話でもありますが、私も私なりに考えていこうかなという気分になりました。それだけですが。
とはいえ、文とは、文章とは自由であるべきだと思います。あくまで主観によるものなので、こういう考えの人がいるんだな、程度に留めてもらってもいいかなと思います。
見出しを書こう、できるだけ内容を表したものを
見出しの通りです。見出し、大事です。これからどのような文章が書かれるのか、結論はどこにいくだろうか、読者としてはある程度予測を立てつつ読み始めます。記事全体をあらわす大見出しと、それを小分けにする見出し、さらに小さくわける見出し・・・・。どんどん小さくなります。
そういう風に見出しによって記事がまとまっていると、整理されている印象をまず読者に与えます。安心して読めるというメリットもあります。
結論がどこにいくのか分からない記事は不安になります。
特にどことは言いませんが、個々人がまとめを作成するサイトなどで良くある「○○の正体とは!?」と興味だけ引いておいて、「本当になんでしょうね?」で終わるのはとても消化不良で気持ちが悪いです。
文を短くする
一つ一つの文は短くするべきです。目安は「読点一個」くらいが丁度いいかと思います。一つの文が終わるまでに、読点一つ使う。
短い文はテンポを生みます。テンポは勢いです。勢いは読みやすさにつながります。スラスラ読める文章は、勢いがある文章であり、テンポの良い文章だとと私は考えています。
人の頭は文を読みながら頭の中でその意味をくみ上げていきます。長い文とは、それだけでくみ上げる意味が壮大になってきます。
文、文章は簡潔にまとめ、もったいぶるべきでは無いと思います。大きな全体の構成として、核心をもったいぶるのは技法としては必要なことです。しかし、細かな一つ一つの文や文章でそれをするには、あまりにもリスクがありすぎりるように感じます。
漢字とひらがなのバランス
漢字は便利です。一目でそれが「何」か認識することができます。バランスに気を配ってますか? 漢字がたくさんある文章は目が痛くなります。だからといって漢字が少ない文章も読みづらいです。
あなたにはこのぶんしょうがどうみえますか。
単語と単語の「区切り」を探すのに手間取りませんでしたか。「ぶんしょう」という文字列を認識するのにどれくらい時間がかかりましたか。
近所の自動車工場付近の自動販売機置場爆発!!
今度はどうでしょうか。読む前に「うっ」となりませんでしたか。
どの方向を向いているか
こういう物もあります。同じ漢字が近くにあってなんだかムズムズしませんか?
文章を書く上でどれだけ正確な漢字の使い方をするのかというのはとても大切だと思います。しかし、それによって読みやすさが損なわれたら元も子もないと思います。
漢字同士が続くようなら「ひらき」ましょう。言葉を変えましょう。句読点をはさみましょう。
「方向を向く」→「方向をむく」or「方向を見る」
近所にある車の工場近くの、自販機置き場が爆発!!
この記事の文章も、漢字とひらがなのバランスを考えて言葉を選んでいます。例えば「辛い」を「づらい」と書いたり「言って」を「いって」にしたり、です。
漢字に気を配っているか
漢字が続きますね。
所謂、類友って奴です。この「所謂」、パっとすぐに読めました?
なにやつ何故。
これはどうでしょう。「なにやつなにやつ」って読みませんでした?
何れかの問題。
「なん・・・」と読んじゃった人は手を上げてください。
その漢字がミスリードを誘っていないか、少し立ち止まって考えてみるべきです。格好つけた文章を書いても、その文章が誤読されたままだと面白おかしい話が出来上がってしまう可能性があります。
冗談でもなんでもなく、誰にでも読みやすい文章を心がけるのならば小学生が読めないであろう漢字は使うべきでは無い、と私は考えています。それでも、コンピュータの変換によってどうしても意図しない物が出力されてしまう場合もあるのですけれども。
100点の文章を心がける必要もないと思います。
表現にこだわるということ
なにかを相手に伝えたいとき、私たちは頭を捻ります。捻りすぎて表現までくねくねしていませんか。
私はよくあります。
面白さ、凄さ、感動を伝えるために、月並みな表現にならないように・・・。もうここはセンスなのだと私は思います。どうしようもない部分なのだと。だからせめて、単語の表現だけでも良くしていきましょう。
タオルは柔らかい
女の子はやわらかい
レモンは酸っぱい
レモンはスッパイ
食べ物の匂い
たいよーのにおい
花の香り
いろいろと並べてみました。どれがどう、というのは主観的な感覚になりますけれども、言葉、漢字が伝える感覚はそれぞれ違います。
擬音などもそうです。「ガッシャン」という擬音は、どういう擬音だと思いますか。もしもあなたがこの擬音を使い、相手にまったく同じ感覚を伝えられなければ、この擬音は失敗ということになってしまいます。
「が」の禁止
「が」は魔法の言葉です。文と文を結びつける言葉なんです。
明日は雨になるという天気予報の声を聞いた私は傘を持って外に出たのだが、空は晴々としており雲の一つもない様子だがもう靴も履いたし玄関の戸もしめてしまったのだが、どうしたものか・・・。
書いててむちゃくちゃムズムズします。これらの「が」は全くの不要ですよね。読んだあなたもムズムズしてるかと思います。
けれども、このような文章を書いてしまっている人は意外と多いんです。
いっそのこと「文と文をつなげる『が』」を禁止にするくらいが丁度良いです。どうしても使わないといけないんだ!! となったら使う、くらいで。
そして「が」で文をつなげるときは、必ず前の文とは反対の意味になるようにしましょう。使い方を間違うと一気に文章全体があらわす「意味」がぼやけてしまいます。
終わりに
はじめにも書きましたが、世の中すでにたくさんの「書き方」を扱った記事があります。本もあります。
そういった情報を元に、どうやって自分の書き方を組み立てていくかというのは、とても大切なことだと思います。
自分で書いた文章に対して悩んでいるからこそ、色々なノウハウが蓄積されていくのだと。
ここに書いてない私なりの技術ももっと沢山ありますが、今回はとくに気をつけたいなと考えている物だけをチョイスしてみました。参考になれば幸いです。
アリスs
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窓の外には紫の空が広がっている。突き抜けるように単色の空が……。風の音がかすかに聞こえ、カーテンを優しく揺らす。 私の肌は風を捉えられず、耳だけがその存在を捕まえた。 続きを読む アリスs