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そうだよね、皆こんな感じで逃げてるって思う「ソラミちゃんの唄」感想

自宅録音に夢中な女の子・ソラミ。絶賛浪人中なのに、今日もギターに作曲に…と大忙し。外に出るのが怖くたって、お母さんと気まずくたって、音楽があれば大丈夫。

そんな彼女の部屋には、ちょっと変てこな仲間たちが集まります。マンガ描き女子高生・フミリン、歩く寝袋がトレードマークのネモちゃん、そしてソラミの過去を知る幼なじみ・さっこ(現役合格・大学生! )。

自ら紡ぎ出した音楽が響き、気の合う仲間たちが集うソラミの部屋は、儚げな幸せに満ちていて――。

元々、この漫画の著者はニコニコ動画で多数の初音ミク曲を出していたので知っている人も多いだろう。

若干P -ニコニコ動画:GINZA

柔らかな絵柄とは裏腹に胸にグサグサ来るような曲を作る人で、私は大好きで良く聞いている。

この漫画も曲と同じくノッツ節炸裂、という感じでとても嬉しくなった。

将来への不安とか、停滞する事の居心地の良さとか、それでいて現状を正しく認識してどうにかしなくちゃいけない。というような年頃の若い人独特なダウナーな感じが始終漂っている。

気楽に騒いでいるようで、横には気だるい現実が常にあるあの感じ。

主人公は所謂ヒキコモリではあるが、元々の明るい性格から現状から抜け出そうと努力している浪人生だ。勉強には身が入らず音楽に逃げてしまい、これではいけないともがいている。

そんな主人公を気づかい遊びに来る三人の仲間達。この仲間達もまた、色々なコンプレックスを抱えていて、互いに離れられない。

そのお互いに助け合ってるようで、足を引っ張り合っているような関係がとても良い。

あくまでヒキコモリをメインにせず、心理的なお互いの距離感をメインに据えているので気楽に読むことが出来て「ああ、俺もこうだったよ」と思う事が出来る良い漫画だ。

特に主人公と母親のやりとりはとても印象に残る。

主人公は現実から逃げるためにヒキコモリになり、母親もまた逃げる為に自らを多忙にして逃げる。それでも向かい合おうとする二人。こういう関係って良いよなあ。

小説家らしい独特な解釈が面白い「死なない生徒殺人事件―識別組子とさまよえる不死」感想

「永遠の命を持った生徒がいるらしいんですよ」生物教師・伊藤が着任した女子校「私立藤凰学院」にはそんな噂があった。話半分に聞いていた伊藤だったが、後日学校にて、ある女生徒から声をかけられる。自分がその「死なない生徒」だと言ってはばからない彼女だったが、程なく彼女は何者かの手によって殺害されてしまう―。果たして「不死」の意味とは?そして犯人の目的は!?第16回電撃小説大賞“メディアワークス文庫賞”受賞者・野崎まどが放つ、独創的ミステリ。

「不死」という物を取り扱う小説は数多あります。バトル物ならば特に、キャラの特徴としてはチョイスしやすいポピュラーな要素ですね。

主人公である伊藤は、とある女子校に着任してすぐ「永遠の命をもった生徒」のウワサを耳にします。最初は信じないながら、そのウワサはことある毎に彼の耳に入るにつれ立場上、命という物が何かを考え始める。

そんな彼の前に、ついにウワサの生徒と相対するが――。

という導入から始まるミステリはしかし、言うほど複雑な構造をしていない。登場人物はそれほど多くないし、すぐに答えも出る。しかしそれでも「不死」という物がなんなのか、主人公が答えに迫っていく様は淡々とした文章も相まって緊張感があります。

個性的なキャラクターが物語自体の舞台装置になってるのも面白い。どんでん返しに次ぐどんでん返しもなるほど、と唸ってしまいます。

死なない生徒についてことある毎に疑問を投げかけてくる同僚。不死な人と友達になりたい女生徒。自らを不死だと名乗る生徒。

キナクサイ。キナクサイよ!

けれども、彼、彼女らとのやりとりが軽快で、ズレていて、楽しいんですよね。

後半の静かな、一気に収束する物語はほどよい刺激になります。全体的に静かな、それでいてゾクっとする気持ち悪さ。

この手の物語を良く読む人にとってはありがちとも取られるかもしれませんが、軽く変な物語を読みたい人にはお勧めではないでしょうか。

百合をするためのTRPG!「える・えるシスターTRPG」感想

百合風味学園コメディRPG『える・えるシスターTRPG』

体験する機会に恵まれましたので軽く感想をば。

百合をするための素材と要素がきちんと揃ってる

ステータスや要素、ルールなどはPC達が百合をするために必要な物は揃っている感じですね。

コスプレイヤー、クール、めがね、腐などなど。おもしろみのある名前の属性がそろっていて、それがゲームに影響を及ぼしています。もちろん突き詰めるとPC同士の優劣が色濃くなるのですが、そこは同人TRPG、「こういうキャラ」が作りたいという欲求を素直に受け入れてくれます。

心と心の距離をマップに

特殊だなと思うのは、PC達の距離感をそのままマップに落とし込んでいる点。物理的な距離ではなく、お互いの親密度をマップにしているんですね。その名も「ココロマップ」。マップの移動は一緒にシーンを演出した相手に任せるというのも面白いです。しかし、リソースである「ハート」もマップに置かれるので、移動するのに躊躇したくなる場面もあります。

シーンは少し複雑かも

日常シーン、対決シーン、暴走シーン、すれ違いシーンなど。どのようなシーンを演出するのかという選択肢も多いのですが、その分いつ出来るのか、それでどうなるのかという把握が難しいですね。また、シーンの中身はプレイヤー達に任されます。

キャンペーン前提という印象

「親密度」という他PCへ対するステータスは最高値100なのは良いとして、それが1セッション10程度程しか上がらない、シーンなどを積み重ねていく上でPLに内容が一任される部分が多いという事で、どちらかというとキャンペーン前提になっている気がしますね。

まとめ

戦闘一切なしの女の子同士のやりとりが遊べるTRPG、色々な属性の女の子をシステム自体が対応している。というのは面白いです。スッキリとしたステータスや、かわいらしいキャラクターシート。見やすいDTP等々。力の入れようが窺えますね。遊んでみると、なるほど女の子達の感情の動きが視覚化されていてロールしやすいです。

ただ、システムがサポートしているのはここまでで、これを遊べば必ず女の子達が百合百合し始めるといった所まではいかないので、プレイヤー達がどのような百合へ持っていくのかを考える必要があります。

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百合風味学園コメディRPG『える・えるシスターTRPG』

原作もどうぞ。

はちゃめちゃっぷり無限大のレースゲーム「TrackMania²」感想

Steam:TrackMania² Canyon

バランス無視のはちゃめちゃコース

大ジャンプは当たり前。加速板にコース無視、巨大ループなどまさになんでもあり。操作も簡単。さくっと遊べてさくっと辞められる。良い感じにカジュアルだ。

グラフィックもかなり綺麗で、コースのバラエティも見てて楽しい。コースカスタマイズもあり、なんだこりゃというコースがお手軽に出来る。

最大100人でのマルチプレイ

トラックマニアといえばマルチプレイ。ネットで全員一斉にスタートしてタイムアタックを行う。これがもう面白くて仕方が無い。

ジャンプで明後日の方向へ飛んでいくライバルを横目にほくそ笑んでると、こっちも壁に激突。スタート地点に戻ってみれば顔を見合わせる。1位の人の上手さに嫉妬しつつ自分も順位を上げていく楽しさ。

誰かが作った意味不明なコースを皆で試行錯誤しつつゴールへと辿り着くのも良い。

普通のレースゲームでは絶対に味わえないカジュアルさがここにはあって、ちょっと時間を見つけてはついつい遊んでしまう。

お手軽なレースゲームを探している人は是非

そういうわけで、シミュレーションやリアルなグラフィック、ダイナミックな破損などにそこまで興味がないが、レースゲームは一本くらい欲しいな。という人に本作はお勧め。

本作はシチュエーションごとにタイトルが別かれている。Canyon. Valley. Stadium.だ。シリーズ三本パックだと一本分の値段で買えるからお得。

Steam:TrackMania² Canyon

【ネタバレ】落ち着いて見返すと味わい深い「劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」二回目視聴感想

二回目です。見てきました。

やっぱりいいです。最高ですね。

相変わらずネタバレ全開です。全開から色々と心境が変化しました。落ち着いて見られる分気づいた所も多かったという所でしょうか。次の感想はBDがでたころにでも書くかなと思います。

【ネタバレ】色んな意味でファンに答えた「劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」感想 | aoringo works

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OP、やっぱり良いですね。あの明るい音楽にほむらの絶望した感じ。最初、あれはTV版やこれまでの劇場版を圧縮した内容なのかなって思ったんだけれど、ちょっと違うかもしれないですね。ほむら自身の心境が現れている気がしますよ。

前半の流れは概ね前回と同じ感想でした。

まどかと抱き合い髪を結うシーン。あれは、そのままほむらの心境を比喩しているのでしょう。結われていくときは、まどかに甘えていた時の自分へ戻ろうとする流れ。けど、まどかの自然な吐露を聞いて、ほむらは改めて決意します。結果、髪は解ける。まどかのためにもう一度抗う決意をする。あの悲壮感。全てを受け入れる覚悟、そしてまどかさえも取り込むという決断。ほむらはついに、流されて祈った願いを自分の物にした。そんな感じですよ。

まどかを概念としてしまった、弱かった自分の否定。疲弊して、結局まどかを魔法少女にしてしまった、自分の。台詞だけでの吐露でしたが、それだけに静かに、重く、印象的なシーンとなりましたね。

この「まどかのために」というのがミソで。初見で見たときはあくまでほむらの自己中心的な考えでまどかと一緒になろうとしていたのだと思っていた。けど違う。ほむらはそんな子じゃないんだね。

あくまでまどかのために、まどかが普通に暮らせる世界を作るためにまどかの一部を奪ったんだ。だからほむらは、新しい世界を作った後もまどかときちんと向き合っている。神に戻ろうとするまどかを戻す。もしも今後神に戻るなら、敵となってでも、止める。

まどかの幸せのためにほむらは悪魔になった。きっとこれから、ほむらはまた、まどかのために抗う事となるのでしょう。ループの日々が始まるのです。さやかは魔法少女であることが示唆されていますが、まどかが魔法少女であるとは示唆されていなかったように思います。きっと、本当に一からやり直そうというのでしょう。ほむらはさやかに対して、そしてまどかに対しても敵対するような事を嘯いていますが、それこそが彼女の覚悟なのでしょう。目元の隈? も、おそらくは眠れぬ夜を過ごしているに違いない。優しい子ですね。

純粋な愛の物語に昇華したとも言えるかも知れない。あのほむらの「愛」という台詞は、まさに純粋な愛に違いない。独占的な愛ではなく、まどかの幸せを願った愛。そのためにはあの世界は必要で、さやかや他のメンツが巻き込まれるのもまた、必然だったと言えるでしょう。そしてまた、そのためにも自分は側にいないといけないと考えている。

TV版のエンディングではまどかが一人走っていたのが、今回のエンディングでは二人一緒に走っていく。この世界の未来では、そうなって欲しい。本当にそう思います。もう、ほむらは十分頑張ったと思う。

エンディング後のおまけ。きゅうべえを痛めつけているけれど、これは多分TV版最後との対比なのでしょう。ビルから落ちるところも同じ。ここからまた彼女の戦いが始まるという示唆。そしてきゅうべえは利用するためだけに存在するという示唆でもあり、不吉の象徴でもある。

笑っているのは、どういう事なんでしょうか。今度こそ勝ってやるという物語に対する勝利宣言でしょうか。今度こそ、私が主導権である、という。

今後考察も盛り上がるでしょうが、私はとてもシンプルなお話だと思います。ほむらの、まどかに対する思いの戦い。一度は挫けてしまったけれど、立ち上がるための物語だったのだと。

【ネタバレ】色んな意味でファンに答えた「劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」感想

見てきました、まどマギ。そこまで熱心な視聴者ではなく、のほほんとTV版を見ていた方なのですが、大変興奮しました。面白かったです。

とにかく良い映画です。ある意味ではファンへの一つの答えとして提示される映画でした。

以下一切の遠慮はせずネタバレの嵐となりますので、実視聴の方はブラウザバックをお願いします。

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初っ端からワクワクするような始まりですね。各キャラクターの立ち位置が微妙に違うようのがわかり、さらに「ベベ」の存在に驚かされました。しかもそれがマミさんと一緒に暮らしてるとか。

OPも凄く良い。さわやかな歌に合わせてホムラが絶望しているところとか、凄くこれからの展開を示唆していて一筋縄じゃいかない感じを思う。けどなんかこう「これこれ、これだよな『まどマギ』って」みたいな感覚になるのは、多分ファンがこれまで色々と想像した「まどマギ」像からブレてないから。

全体的に、私たちが妄想したりしている展開を全て詰め込んだような風。「これだろ? これがみてえんだろ? 全て詰め込んでやる!」・・・。ここらへんはエヴァ劇場版の上から見下ろして笑うような感じではなく、一緒に堕ちましょう(楽しみましょう)と誘ってくるような、そういう感じ。そうやって考えると、真の意味はわからないけれどあのケーキの歌の下りとか、食べさせられてるのは私たちまどマギファンなのかなとか思ったり。メタ読みしすぎるとキリがないけれど、あの閉鎖された空間で、全員からそれぞれのトッピングされたケーキを頬張るあの姿。重なるよね。

ガンカタ勝負むっちゃくちゃかっこよかったです。あのシーンをもう一度見るためだけにもう一度見に行きたいですね。結局殺せず足を打ち抜こうとする所とか、ほむらの迷いが見れるシーンを入れたのがグットです。

多分さやかが諭す前、あそこくらいから心の底ではわかってて、必死に否定していたんだと思う。だから迷った。ベベを即倒さなかったのも、まどかの前でいきなり変身して見せたのも、全部邪魔を誘うための小さな隙だと思った。さやかやベベ、そしてまどかを誘ったのも実際にはほむら自身だし。

思い返すと、ここで何故ほむらが異変を察し、事実を追い求め始めたのかがわかる。全てはまどかと一つになるため。そうしないとまどかの存在をなんで疑わないのかが説明つかないからだ。他の杏子やベベは疑っているのに、何故まどかは疑わないんだ? ベベの記憶があるなら、まどかのために戦ってきた記憶もあるだろう。そこにまどかがいる事。もしもほむらが本当に事実を追い求めているならまずまどかを疑ったはず。少なくとも心の深いところでは理解していたと私は解釈した。

そしてまどかの考えを聞き、ほむらの心情が風景として表れる。あのシーン良いですね。実際ほむらの中でどういう感情が芽生えたのか。けど、少なくともほむらはまどかをどうにかしようとは思ったんだ。

さやかの魔女化はキター!って感じですね。良いですね。ワクワクしますよ。そして色々と繋がってきます。

まど神シーンは、ほとんどの視聴者にとっては、これだ!! これだよ!! と思ったに違いないですが、「けどできないよなー」とも思ったシーンであると思います。今回の映画は本当にファンが見たかった物が詰まっていますね。物語としてはある意味では反則ともいえるセオリー外し、「ここでこうなったらおもしれえよなあ」をやってくる。本当に感動しましたよ。しかもこれが綺麗にまとまっている。

最後の長いエピローグもよかった。良い余韻です。ほむらのすさんだ目つきも良い。悪魔になっても、けれどもなりきれない感じ。素敵ですね。結局はさやかやマミさん、杏子たちと一緒に居る。ほむらの本質は結局変わらないっていう弱さが見れます。まどかのために、そういう存在になれて幸せ・・・。と言い聞かせているような痛さ。ゾクゾクします。これでいいんだ。というような笑い。

私は常々、TV版は物語のためにキャラがあると思っていました。この物語をするためには、キャラクターはこういう感情をいだかないといけない、というような。だからこそほむらは純粋な感情を突き進めてまどかを救おうと足掻いたし、さやかは魔女になった。物語上ここではこうしないといけない。そういう縛られたキャラクター達だった。

だからこそ、ほむらのまっすぐな感情は私たちに歪んで見えた。沢山の二次創作で、ほむらが変態として描かれた。そしておそらく製作陣にもそう見えた。か、それならこれを推し進めようと思ったんじゃないかな。

結果的に、物語から抜け出してキャラクター達は自分を得た。今回の映画はそういう風になっている印象を受けました。物語を終えて、放り出されて感情を強制されたキャラクター達はいったいどうなってしまうのか。その果て。ほむらが作った空間で、仁美がああなった所は過去の彼女達を見ているようだった。物語のために操られている感じだ。そんなことでなるのか? というのは言い換えると、そこでそうならないといけないと強制されているのだから。

この後、彼女達はどうなるんだろうね。気になるけれど、描かれるのだろうか。アニメ化するかな? してほしいな。

ところで、またまどマギはコミカライズをまたやるのかしらね。沢山だされても追いかけられないし、逆にそれがファン達を分散させている結果になっているようにも感じる。そして、たとえコミカライズで枝葉を分けてもどうしても同人的というか、二次創作的というか・・・・。まあ仕方ないんだけどね。もやもやっと。

ともあれ映画はとても楽しかったですよ。また見に行こうっと。

【ネタバレ】落ち着いて見返すと味わい深い「劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」二回目視聴感想 | aoringo works

二度目視聴の感想も書きました。

ショックだけを与えられて無責任に放り投げられる「人間仮免中」感想

壮絶な過去と統合失調症を抱えた著者が、36歳にして出会った25歳年上のボビー。苛烈で型破りで、そして誰より強靱なふたりの愛を描いた感動のコミックエッセイ。

読んだあと、しばらく脳の中で整理がつかずにボケっとそのまま二時間ほど経っていた。

感動したとか、感激したとか、笑ったとか、勇気をもらったとか。とにかくそういう風に言い表せられないくらいに、なにやらごちゃ混ぜになった気分にさせられる。とにかく、「ショック」を受けたというのが適当に思える。

本著は、卯月 妙子が歩道橋から身を投げ出す場面から始まる。そこから一気に過去へと飛び、彼女の人生、その一端を見る事が出来る。いや、押し付けられる。

一方的な「卯月 妙子」自身の世界、価値観、主張を淡々と流し込まれるのだから、たまらない。冷静に考えれば、自己中心的な考えは決してうなずけるものではない。しかしインパクトを伴う彼女の人生が、読んでいる私たちの価値観すらも捻じ曲げよう、捻じ曲げようと訴えかけてくるのだ。たまらない。

彼女は自分自身に起こる全てを受け入れているようで、それを素直に表現してくる。全てを。主観だけで描かれているから、素直に受け入れられると美しい話に見えなくもない。しかし、その裏側を思うと、彼女の周りに居る人々を思わずには居られない。スッキリとしながらも崩れた線に、著者の精神状態が見えるようで恐ろしい。

一コマ一コマに渦巻く執念のような何かを感じるようで、中々前に進まない漫画は初めてだった。

ある意味で、生きるってこういうことなのかもしれないな、と納得できる。かもしれない。

いくつにも重なるレイヤーが瓦解する恐ろしさ「リライト」感想

過去は変わらないはずだった―1992年夏、未来から来たという保彦と出会った中学2年の美雪は、旧校舎崩壊事故から彼を救うため10年後へ跳んだ。2002年夏、作家となった美雪はその経験を元に小説を上梓する。彼と過ごした夏、時を超える薬、突然の別れ…しかしタイムリープ当日になっても10年前の自分は現れない。不審に思い調べるなかで、美雪は記憶と現実の違いに気づき…SF史上最悪のパラドックスを描く第1作。

目まぐるしく主観が変わり、まるで振り落とされそうな速度を出しながらも伏線が積み上がっていくが、あくまで物語は淡々と進行する。

いったいどこに着陸するのだろうとのんびり構えていると、最後の最後であざ笑うかのような結末が待っている。

タイトルにもなっているリライト。過去が上書きされ、未来が知らず知らずに変わっていく恐怖に主人公はさらされる。しかしどうする事もできずに時間だけが過ぎていく。その焦燥感とやきもきさったらない。ページが少なくなるにつれてこの物語はどこに行くのかまったく分からず、伏線はさらに積み上がる。

十年前の思い出。未来人と自称する男の子との出来事。そして今、来るはずだった過去の自分。本。同窓会。アルバム。殺人事件。

まるでフィルムが折り重なったように立体的になったところで、衝撃的な結末、リライトの意味、全ての始まりが明らかになるのだが、まるでハンマーで振り下ろしたかのようにグチャグチャに散らばって開示される。そこから全ての断片の整理が始まる。本当の意味でのSFサスペンス。読んだ後にここまで読了感の無い本も珍しい。すぐに最初のページを開き、二週目を読んでしまった。人によれば三週目に入る事もあるだろう。

軽い読み味に、しかし複雑に積み上がる伏線の数。このシリーズは全てで4冊出る予定があるようだ。「リライト」がこの先どのような広がりを見せていくのか。楽しさと恐ろしさを感じながら待とうと思う。

最適化されたサイコロフィクション「キルデスビジネス」ルールパート感想

他人を蹴落としてまでも叶えたい願望のある人間を集めて開催される、地獄のリアリティーショー「キルデスビジネス」

標的には死を、ライバルにも死を。全てが許されるゲームが始まった。

全ては視聴率のために。

ボードゲームの祭典「JGC」にて、先行販売されたものを早速プレイしてみました。方々でも感想はあがってるかと思いますが、本記事はあくまでシステムルール自体の感想に終始します。

全体的に軽い

とにかく軽い。

キャラクターシートに記入する項目も少なく、HPやMPのような概念すらも取りさらった潔いステータス。キャラの性質や性格もランダム表が用意されており、迷うならそれに頼れば特長的なキャラクターがすぐに出来上がる。

地獄に呼び出された人々がテレビ番組に出演させられて標的を殺すことを要求される。それぞれ他を蹴落としてでも叶えたい願望があり、この番組の景品ともなる。しかし、それが叶うのは一人だけ・・・。ここまでお膳立てしてくれるので、プレイヤーもスムーズにゲームに入り込むことができるし、まどろっこしいモノローグも必要ない。

攻撃はスキルにて行う。スキルには一行から二行の記述で効果が収まっているので判断に迷う事もない。一人二つのクラスを選択し、クラスごとに三つずつのスキルが用意されている。二つのクラスで計六つのスキルを自動で取得。どれを取得して、どれを省くかなんてまどろっこしい事もない。とにかくクラスを選べばもうそのキャラが完成する。攻撃が成功すれば相手が死に、失敗すれば反撃されてこっちが死ぬ。シンプル。

インパクトがありながら、数行の説明で済む世界観

舞台は地獄。しかし独自の文化や地図や名前なんてものを説明する必要はまったくない。地獄のものには全て「ヘル」がつくだけだ。「ヘル」がつけば全て地獄のもの。とにかく「ヘルヘル」言っておけばそれでOK。アホらしいがインパクト抜群で、実際やってみるといつまでも頭に残るほどに影響力の強い設定だ。

「ここはヘル教会のヘル祭壇です。標的が懺悔をしているところに貴方たちが登場しました。足元にはヘルプロデューサーが指示した通りヘル目張りが張られているので、そこに立って整列してください。一瞬送れてヘル花火が爆発してヘル火花が散り、ヘルファンファーレが音量『ヘル』で鳴り響きました!! ヘルカメラマンがヘルローアングルで貴方たちのヘルカッコイイポーズをヘル写します。音楽が切り替わり『ヘルバッヘルベルンのヘルカノン』になったところで戦闘がスタートします」

始終こんな感じですばらしく楽しい。

作成されるキャラクターも妄言と妄想を詰め込んだものを作れれば完璧だ。例えばウインクで相手が蒸発するとか、お辞儀をすると相手が爆発するとか、抱きつくと相手が粉砕されるとか、オヤジギャグを言えば相手が凍り付いて死ぬとか。そんなことを考えながら楽しくわいわいキャラを作ろう。

そぎ落とされてコンパクトにまとまったルール

一方で、システムルール自体はかなりコンパクトにまとまっている。まるでボードゲームのようにキッチリとしており、GMの調整が入り込まないほど。最悪全員プレイヤーでも成立するのではないかと思えてしまうくらいだ。

GMの作成する標的と、それを守護する守護天使も実際そこまで強くもない。あくまで標的であり、倒される存在であると完全に定義されている。PLたちは「誰が」それらを倒すのか、「誰を」出し抜くのか、という思考戦が始終展開されており気が抜けない。まさにボードゲーム的というか、カードゲーム的というか、戦略が物を言う。

戦闘に破れると強くなるというのも面白い。わざと負けるという選択肢すら出てくるからだ。

サイコロフィクションというTRPGシステム群の、ひとつの最適解にも見える反面、サイコロフィクションだからこそというデメリットも見えるのも事実。手番があり、サイクルで一人ずつ行動していくのがサイコロフィクションだが、戦闘は長くなりがちだし、その間参加しない人は待機することになる。暇な時間がどうしても出来るというのは、まあ今までのサイコロフィクションでもあったことだ。ロールプレイをいくらでもできて口を軽く挟める人なら問題ないかもしれないが、今回は対立の面が強いので今までより色濃くそういった部分が浮き出る。もしかするとこのシステム面で合わない人は出てくるかもしれない。

最終的な勝利をどうイメージするのか、どうロールプレイをするのか、どう立ち回るのか。多方面で思考をまわすので以外と負荷は高い。しかし、パーティーゲームのような手軽さも同時に併せ持っているので、初心者のTRPG入門にはぴったりなのかもしれない。断言できないところがTRPGの難しいところでもあるなと思う。

とにかくテンポ命の新感覚すぎるラブコメ「恋愛暴君」感想

男子高校生・藍野青司のもとに、任意の二人を強制的にキスさせるという不思議アイテムを持った死神風の少女・グリが現れた。強引にキスを迫ってくるグリに対し、青司は……?
メテオの新星・三星めがねが贈る、抱腹絶倒ラブコメディ第1巻!

コメディに突き抜けすぎる

とにかく設定やら何やらが軽い。名前を書くとキスをして恋人同士になる「キスノート」は勿論、最初のヒロインである「グリ」は恋愛感情を持たないながらホモ趣味。主人公とキスをしてもきょとんとした表情をしているのは何だか新しい。

主人公も主人公で、ラブコメでよくあるような鈍感主人公ではなく一般的な常識と恋愛観を持っている。こんな二人がラブコメに放り込まれるのだから暴走するのは当然のことだ。

後々追加されるヒロインもひどい(褒め言葉)。主人公が元々好意を抱いていた女子生徒はヤンデレだったし、そのヤンデレを好きな女の子も登場し三つどもえ、四つどもえの体相をなしてくる。

とはいえ、ラブコメらしさを忘れているわけでもない。グリの世間知らずながら特殊な性癖のせいで暴走し、それに巻き込まれる主人公の苦悩は計り知れなく面白おかしい。絵柄もかわいいし、まどろっこしいヤキモキさなどはない。

思うに、これは美少女ゲーム、ぶっちゃけエロゲー的な設定を無理矢理にでも一般的なラブコメディに持ち上げた作品ではないのかと思う。アホらしい設定を真面目にここまで持ち上げてみせるアホらしさが素晴らしい。もちろん褒め言葉だ。今回はキャラクター同士の顔見せと言った具合で、本格始動は次巻からといったところ。次巻が楽しみだ。